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『ロバと私』
  私がSOHO禅海外進出の第一歩と位置づけたフランスの旅は、おいしくて、楽しいものでした。現地在留の日本人皆さんのご尽力もあって、パリ市内のカトリック・センターと国際大学都市日本館での講演や瞑想に、多くの人が集まって下さいました。私もかつてはアメリカに定着していた人間なので、よく分かるのですが、海外で暮らす日本人の方々には、甘えの利かない生活の中で培われた独特の精神性があるように思います。そして、「ありがとう」の言霊は世界各地に新しい宗教の形を創っていく実力があることを確信しました。
 三日間ほどパリを離れ、新幹線でディジョンという町に移動し、そこからレンタカーでワインの産地として有名なブルゴーニュ地方をドライブしました。フランスの農村地帯は、日本のように景観を乱す建物を乱立させるわけではなく、どの村を訪れても、中世そのままの風景を守っており、息を呑むほど美しいものです。
 ブドウ畑と、大きな白牛がのんびりと草を食む牧場が一面に広がる田園風景の中に、ポツリポツリと絵に描いたような村があり、その中央に必ず教会があります。そしてその塔からは一時間ごとに、どこか懐かしい鐘の音が流れて来ます。そういう鐘の音を聞きながら、ブドウ畑の一角に腰を下ろし、ときどきに野点の茶を楽しみました。京都の狭苦しい茶席で、窮屈な着物を着ながら点てる形式的な茶と違って、これぞ利休が志した侘び茶の精神だと思いました。
 スペイン巡礼の出発地として有名なベズレー村を、静まりかえった早朝に散歩してみると、丘の上に荘厳な聖マリア教会がありました。なんとなくその中に入っていくと、驚いたことに二十名ほどの修道士と修道女が、真っ白な修道服に頭からすっぽりと身を隠し、石の上に正座をしながら、一時間も沈黙の祈りを捧げていました。そして、そのうちに聴いたことのないような美しい讃美歌を歌い始めたのです。ステンドグラスもパイプオルガンもない質素な教会でしたが、その素朴さこそが、キリスト教の原点だと思いました。
 ボーヌの街では、十五世紀に建てられた施療院を訪れました。これは、貧しい人々が無料で医療を受けられるようにするための当時最新式の病院です。建築学的にも贅を尽くしたもので、うっとりするほど美しい建物でした。それは、富豪夫婦が私財を使い、細部にわたって工夫を凝らし、建てられたものであるという話を聞いて、よけいに感動しました。そこにキリストの精神の、もっとも美しいものを感じます。人間が事業で成功し、財をなすことは、素晴らしいことですが、その財を他者のために使うことは、さらに素晴らしいことです。
 先祖代々何百年も家族で経営している小さなワイナリーが無数にあり、どこを訪れても、古色蒼然とした地下貯蔵庫の中で、おいしいワインを試飲させてくれます。そして、どの村にも今も石窯で焼いている小さなパン屋さんがあり、焼き立てのフランス・パンをほんの百円ぐらいで買うことができます。毎朝、村のパン屋さんで買ったパンを紙にくるみ、人々がとぼとぼと石畳の道を歩きながら家に帰っていく風景は、平和そのものです。
 そのパンを齧りながら、少しばかり上等のワインを飲み、エスカルゴ(かたつむり)料理やムール貝料理に舌鼓を打つのは、最高の贅沢です。これで私がフランス語でも話せたら、酩酊した勢いで、あちこちで見かける美しいマドマーゼルに声をかけることも出来たのですが、その夢は叶いませんでした。
 ところで、ある村の牧場でたまたま車をUターンさせるために停めたところ、まるで私を待っていたかのように、目の前に愛くるしいロバが立っていました。おとぎ話に出てくるような耳の大きい、目の優しいロバでした。犂でも引かせるのか、足が太く、いかにも頑丈そうなロバでしたが、決して人間のサラブレッドではない私も、そのロバに痛く共感するものがありました。
 駄馬である私も、ゆっくりとジブンの夢を引きずりながら、長い道のりを一歩一歩進んで行くだけだ。神の愛は、どこまでも惜しみなく、どこまでも大きく、目の前に広がっているのだ。のどかなブルゴーニュの風景を眺めながら、そういう感慨に耽りました。次回のパリ「風の集い」の開催が、待ち遠しくてなりません。(2012・5・7)



「ロバと私」




「村のパン屋さん」




「村の川」




「日本館」




「野点」


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