【更新は不定期。】

『幸せのご褒美』
   ある朝、目覚めると「幸せのご褒美」という声が聞こえてきました。枕元に観音様をお祀りしているので、そういうことがあるのかもしれません。ふつう私たちは、何かいいことをしたり、頑張ったりしたご褒美として、幸せが与えられると思っています。つまり幸せは、努力の結果だというわけです。
 ところが真実は、その反対です。幸せは、幸せでいることの結果であり、ご褒美なのです。「いま幸せ」と思っていないと、幸せはやって来ないのです。
 ですから、育った家庭環境や過去世からのカルマなどの理由で、とても自分なんかは幸せになれないと考えている人は、徹底的に頭を切り替える必要があります。幸せでいることが出来るかどうかは、今、自分が現実をどう受け止めるかということだけにかかっているのです。
「幸せのご褒美」は、別な言い方をすれば、幸せの投資術です。幸せと思えば、ますます幸せになります。幸せと感じるのに、仕掛けはいりません。いま生きて、食事が出来て、友達がいてくれるだけで、幸せです。
 どんな小さな出来事にも、「ああ、幸せだな」と思うようにしていれば、もっと大きな幸せがやって来ます。現実の投資の世界でも、10万円を100万円に、100万円を一千万円にしてしまう人がいるようなものです。
 反対に、いつも眉間に皺を寄せるような生き方をしていれば、幸せはやって来ません。自分は決して幸せではあり得ないという意識が、幸せな現象にブレーキをかけているのです。
 とすると、どういう境遇にあっても、「幸せ!」と思ったほうが、勝ち組なのですが、勝ち組に入るためには、少しばかり意識の練習が必要です。何しろ誰にでも思い癖というものがありますから、その癖を外して、「ああ、幸せ」と感じるためには、いったん思考を止める必要があります。
 それは、「食べる道楽」を味わうために、いったん「食べない道楽」としての断食を体験するようなものです。「ありがとう断食セミナー」に参加した人が、日曜日の朝に頂く梅干しやふろふき大根が、「こんなにおいしいものとは、知らなかった」と言うのは、48時間の絶食をしているからです。
 SOHO禅で、「ありがとう」とお腹の底から発声してもらうのも、まず思考の停止をしてもらうためです。長く続けていれば、否定的な思い癖が外れて、幸福感に包まれるようになります。それは、「ありがとう」という言葉に、良い言霊が含まれているからです。
 仏教にも、「人生は苦しみである」という考え方がありますが、そんなことを本気で信じていたら、永遠に苦の世界を堂々巡りすることになります。「人生が苦しみ」なのは、エゴの囚われがあるからです。それを外したら、「人生は楽しみ」になるのです。
 そもそも仏教の「人生は苦しみである」という考え方は、ブッダが説いた四聖諦の最初に出てくるだけです。一番目の苦諦は、人生は苦しみであることを知り尽くしなさい。二番目の集諦は、その苦しみの原因は一つではなく、複雑に絡んでいることを知りなさい。三番目の滅諦は、だけどもその苦しみは、必ず消去できるものです。そして最後の道諦は、苦しみを消去できる方法を実践しなさいということです。
 そこに八正道という考えが生まれてくるわけですが、私は八つも正しい道を意識して実践するのは、ちょっと大変なので、単純に「ありがとう」と唱えましょうと言っているわけです。
 ぜひ今日から、「幸せのご褒美」と言う言葉を一日、何度もつぶやいてみて下さい。必ず幸せのご褒美が届けられますから、楽しみにしていて下さい。(2012・6・1)



「幸せのエスカルゴ」


「折々の言葉」バックナンバー