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『浄光の海へ』
   今、私は二作目の小説を書いています。仮題は、『浄光の海へ』です。私は震災直後から今まで三度、被災地を訪問する機会を与えられました。絶望の淵に落とされた被災者に対して、非力の自分に何が出来るのかという疑問を抱きながらの旅でしたが、そのつど掛け替えのない出会いがあったように思います。
 それらの貴重な出会いと体験に基づいて、自然と私の指が動き始め、小説(『文學界』に掲載予定)を書いています。書きながら、震災で亡くなった人々の死の意味を考えています。命を落とすことは、この世では悲劇であり、悲しみです。
 しかし、あの世では、この世とはまったく異なる価値観があります。死ぬことは、不運でも敗北でもなく、浄化の恵みを受けることかもしれません。ひょっとしたら人間にとって、死は最高の善ですらあり得るのかもしれないのです。そういうことは、一概に言えることではありませんが、この小説を書きながら、死について考えさせられています。
 主人公は、大森早苗さんという実在の女性です。彼女は宮城県女川町のドラッグストアの店長をしていたのですが、あっという間に津波に呑まれ、気を失ったまま真っ黒な海水の中で、七体の光輝く観音菩薩に遭遇しています。それから九死に一生を得て、奇跡的に助かるのですが、そのリアルな体験をコアとして、私は想像たくましくフィクションを構築しています。
 自然には、浄化の力があります。地震も津波も、日本を浄化してくれたのです。福島原発は、放射能で空と海と大地を深刻に汚染しましたが、それ以上の何か尊いものを日本に与えてくれたのかもしれません。それに気づくか気づかないかで、日本という国の命運が決まるように思います。
 もう、日本は西洋の物まね文化を積み上げることを止めなくてはなりません。私たちには、私たちにしか出来ない仕事があることに気づかなくてはなりません。縄文と弥生という二つの異なる古代文化を根っこにもつ島国が、果たすべき役割は途方もなく大きいと思います。(2012・6・17)



「大森早苗さんと」


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