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『南アルプスに暮らすイワンの馬鹿』
   私の交友関係の中に、「イワンの馬鹿」としか言いようのない無心無我の境地に生きる人々が、少なくとも数人おられます。どなたもご高齢であり、私にとって人生の大先輩ですが、いつもイキイキとして他者の幸福のために尽くされています。
 そのお一人が、甲斐駒ケ岳の山麓の村で治療奉仕しておられるYさんです。万博公園の観覧車などの大型遊具にペンキを塗る大阪の塗装業者だったYさんは、現役時代、家族や社員を養いながらも、ずいぶん羽振りのよい生活をしておられました。
 ところが六十ぐらいから瞑想に関心を持ち始め、ついには伊那市(旧長谷村)に夫婦で移住し、滝行などをするうちに、体から不思議な気を発するようになったと言います。自分の手のひらから出る気を当てるだけで、重篤者を含めて次々と人々が癒されていくので、周囲の後押しもあって、ついには空いた山小屋を借りて本格的な気功療法をされるようになりました。
 噂が噂を呼び、過去十年あまりの間に、のべ一万数千人もの人が彼の療法を受けているのですが、年中、全国各地から不便な南アルプスの村まで足を運ぶ人が絶えません。
 しかし、Yさんの凄いところは、みずからの施療に対して、一切報酬を受けておられないことです。まったくの菩薩行として、来る日も来る日も、朝から晩まで彼は施療しておられるわけです。
 ベッドの横に置かれている空き缶に、寄付をしたい人が、したいだけ出せばよいことになっています。二万円出される人もいれば、五人で来られて千円という人もいるようです。
 五人で千円とは誠に非常識な話だと思うのですが、それでもYさん本人はそんなことに一切お構いなく、どの人にも平等に、しかも丁寧に施療されるのです。その無心の境地たるや、そんじょそこらの宗教家では、とうてい足元にも及ばないものです。
 Yさんは、いわゆる霊能者なんかではありませんが、ときどき眼にする一切のものが、燦然と金色に輝き出す現象に遭遇されるようです。そして、彼の近くにいるだけでも、顔面や手のひらに金粉を生じたりすることもあると聞いています。そういう不思議現象が凄いのでなく、それほどお徳の高いYさんの存在そのものが凄いのだと思います。
 後期高齢者として、年金暮らしをしておられるにも関わらず、先日、わが永照院に奥様と訪問して下さった折には、観音さまにお布施やお酒などを、そっと供えて行かれました。そのようなことを思ってもみなかった私はひどく恐縮してしまいましたが、その一方で、仏教本来の施しの心を知る人だと改めて感銘を受けました。高所得者でも、あのような潔い布施の仕方をする人は稀だと思います。天国に貯金する人というのは、まさにYさんのような人のことでしょう。
 壮年期までは世俗の行に没頭し、老年になっては、ひたすら利他の行に邁進されるYさんのお姿は、現代のイワンの馬鹿であり、市井の痴聖人と言わざるを得ません。私は、さまざまな分野の著名人と同席する機会が多いのですが、Yさんほどの香り高い人格を感じさせる人物は、まず皆無です。人間の価値というのは、ほんとうに棺に収まってから定まるのかもしれません。(2012・7・11)



「イワンの馬鹿ご夫妻」


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