4章.終わりに
松本安生・小野寺真一
“21世紀に残したい広島の自然は?”そう聞かれてあなたは何を思い浮かべるだろうか。我々は、今回のゼミを通して結果的に自然について考える機会を得たが、同じ質問をゼミ以前にされていたら、おそらく半数以上の人は無関心であると答えていた。当初の自分たちのレベルから市民レベルの意識を想像すると、広島の自然に関する関心は極めて低いように思えた。結果は2章で述べられた通りであり,広島の自然に関する関心は低かった。関心が低いということは,まわりに十分な自然が残されているため考える必要などない状況か、広島には重要だと感じる自然がなく興味がない状況か、現実の生活に追われ自然を省みる余裕がない状況などが考えられる。少なくとも、十分に自然があるとはいえない状況下であるのはいうまでもなく、広島の自然そのものに魅力がなく、かつ人間側にも自然を省みる余裕もないといえるのかもしれない。このような状況で21世紀を迎えれば、さらに広島では環境破壊が進んで行くことが予想される。
昔は広島にもたくさんの自然があった。しかし、今では昔からの状態で残っている自然はほとんどないといえる。人間が文明というものを手に入れ、その代償として失ったものの一つが自然であった。文明は我々の生活を大変豊かなものに進化させ、特に先進国に住む我々の世代はその恩恵を受け不自由のない生活を送っている。しかし、21世紀を前にしてその代償の大きさに気づかされつつある。それは、単に広島の公害というレベルの地域環境汚染だけでなく途上国をも含む地球環境問題として問題のスケールが拡大されたことに顕著に示される。広島でも土地開発にともない、絶滅危惧種の問題が取り沙汰される状況である。しかし、それ以上に地球温暖化は海水温の上昇を引き起こし、種の豊富なサンゴ礁という生態系を衰退させつつあり、その結果起こる水産資源の低下は途上国経済に跳ね返る。また、熱帯途上国の高死亡率で問題となるマラリアの繁殖域も途上国を中心に拡大する恐れがある。すなわち、先進国が主に引き起こした地球温暖化は、途上国でそのつけが払わされつつあるのだ。また、開発のもとに地球から姿を消した生き物は数え切れないほどいる。そして今まさにその姿が消されようとする生き物たちも多くいる。
話を広島に戻そう。2章の共生についての議論の中で、「持続可能な利用」という近年の地球環境問題を受けて提案されている概念を示した。まさに、21世紀の広島においても、世界の人々や日本の他地域の人々を念頭に入れ、「持続可能な利用」を基本とした生活が要求される。そして、楽天的な我々人類に向かって常に問い掛ける必要がある。現在の状態は豊か過ぎるのではないだろうか。自分たち人間がもしくは我々の世代が良ければそれで良いと考えていないか。20世紀という発展と破壊の歴史をしっかりと受け止め、21世紀に向け新たなコンセプトで地球環境及び広島の環境保全という大きな命題に立ち向かっていくことが要求される。それがまさに、「自然との共生」であり、「持続可能な利用・発展」である。そのためには、我々一人一人が自然を守ることについてきちんと学び考え、人類と自然が共生できる手立てを実践的に考え、実現の道を探り動き始めることが必要である。すなわち、環境教育が重要である。そのためのいくつかの提案は本書でもなされたように、溜池や瀬戸内海、太田川という自然題材を使った実践的なものがあげられる。
今回のゼミを通じてこの10人にはその機会が与えられた。本書に提案されたいくつかは、様々な環境に関する思考と議論の中から生まれたものである。是非、読者の方々にもこのような基本的な体験をより多く積んでいただきたいと感じている。若い世代にはより積極的な体験を期待したい。また、上の世代にはそのような機会を作る立場として、若い世代に環境とのふれあいの必要性と楽しさを是非教えていただきたいと願う。その結果、22世紀への橋渡しのときには、少しでも地球温暖化や環境問題を共生関係という中で克服していることを祈りたい。22世紀の世代が芽生える前に将来をなくすことのないように、我々は身近なところから一歩ずつ取り組んでいきたい。
未来
図1 地球環境展望
人間