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person or thing differing from all others of group in some respect
道のりと距離
ずいぶん昔から,算数の教科書では,「道にそった長さ」として「道のり」という用語を指導している.
つまり,直線コースでないときは,「距離」を使わないように指導している.
これほどばかげたものはない.
ちなみに,学習指導要領には,「道のり」という用語は一度も出てこない.
通常の日本国民の2つの用語の使用実態を考えれば,私の主張は明らかである.
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大辞林(広辞苑)をひくと,「道のり」とは「目的地までの距離」とある.
ここでいう「距離」が直線距離に限っていないことに注意してもらいたい.
およそ算数の教科書編集に関わるものの国語力などしれている.(私もそのうちの一人)
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ちなみに,国道に普通にみられる案内標識で,距離表示をみかけるが,あれは道にそった長さを示している.
国土交通省のホームページで調べると,
案内標識の距離表示の方法は,標識の設置場所から,案内している目標地の中心地点までの道路に沿った距離で示しています.
目標地の中心地点とは,普通,市役所や町村役場の正面地点としますが,やむを得ない場合は主な交差点や駅などの代表的な地点の場合もあります.
距離については,キロメートル以下を四捨五入してキロメートル単位で表示しています.
上記の説明に,「道のり」という言葉はただの一度も使われていないことに注意してほしい.
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「道のり」という言葉は,通常,次のように用いるものである.
”算数の教科書から,「道のり」という用語の指導が消滅するまでの道のりは,長く険しいものだった”
(2005/09/15)
制服とランドセル
娘の通う小学校では,制服が事実上,強制されている.
(むろん,標準服などという名称をつけているが,実態は強制である.)
私自身,制服のない小学校だったこともあり,制服を強制するなどナンセンスだと考えている.
それだけ学校,教育委員会が保護者を信用していないということである.
確かに信用に値しない保護者も存在するだろう.
しかし,それはどこにでも多かれ少なかれいると考えるのが自然である.
従って,あえて信用しようという心意気のないこの土地は,教育行政において遅れていると思う.
なお,制服については学校が強制しているわけではなく,PTAの総意によることになっている.
私がここで主張しているのは,PTAがなんといおうと,服装は自由にしたいのだと学校がイニシアチブをとらないことへの憤りである.
学校側に制服をやめたいという意思があれば,毎年,PTA総会にかけて当然である.
保護者全体の集合は毎年変化するからである.
それを行わない,すでに決まっていたことだからでは納得できるわけもない.
学校側に服装を自由化するという意思がないことは明らかである.
調べてみると,広島県は制服に関して恐ろしく遅れているようだ.
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彼らに言い分があることは承知している.
百歩譲って,制服を強制するならば,安価な値段で提供すべきである.
靴や靴下まで制限され,通常,スーパーで安く売られていて,
しかも子供の心をひきつけるものは,そういった制限をクリアできない.
子供がほしがっていた靴を誕生日に買っても,日中のほとんどの時間をすごす学校生活において,それを使用できない.
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娘の学校は,ランドセルまで強制はしていない.
実は,私の娘には入学以来,ずっとランドセルを買っていない.
理由は単純である.
子供がもつかばんにしては高価すぎるからである.
私が10年来使用している本皮のかばんに匹敵するくらい,高い.
(もし,ランドセルが標準だなどとされていたら,「ランドセル」の定義をお聞きしたいと学校に乗り込むつもりだった.)
子供は単純だから,周りにあわせて自分もほしいという.
その考え方が誤りであることを娘にはずっといってきた.
もし本当にランドセルが小学生には安全面からいっても最適というのであれば,なぜ全世界に普及していないのか.
制服と同じで,もし強制するのであれば,通常のかばんより安価で提供すべきである.(2004/11/29)
仮分数,帯分数
今朝,妻が娘の宿題をみていた.
妻がいうに,「仮分数と帯分数って,どっちがどっちだっけ?」,「真分数ってなに?」
正解は,「分子が分母よりでかいのが仮分数」,「前に整数をともなっているのが帯分数」,
「分母のほうがでかいのが真分数」である.
妻としばらく話したが,こんな名称は本当にどうでもいいことだ.
よく言われるように,中学に進んで,掛け算記号を省略するようになると,
帯分数は,意味を誤解する可能性があるので,あまり定着させないほうがよい.
実際,現在では帯分数に対する計算は指導要領から省かれた.
しかしそれは,ようやくというものだったそうだ.
小学校の教科書にかかわる人間が,中学以降のことに気持ちがむいていない1つの現われだと思う.
どんな世界でも,長い間その世界だけにかかわっていると,その世界だけが重要で大切なもののように誤解するものだ.
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それは別として,とりあえず仮分数,帯分数という名称が気になる.
中学以降で使うことはないといってもよい名称だ.
調べてみると,明治30年の教科書にはすでに使われている.
真分数はよいだろう.
しかし,仮分数はどうだろうか.
真のものに対する仮のものという意味からきた当て字だろうが,誤訳だと思う.
同じことを多くの人が考えていると思うが,私も「過分数」を提案したい.
また,帯分数は,「付帯」ということから想像できなくもないが,これもはっきり「付帯分数」といってしまったらどうだろう.
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アメリカでどういうのかと調べると,
真分数 = proper fraction
仮分数 = improper fraction
帯分数 = mixed fraction
まだ,これらの表現のほうが区別しやすい.
日本でも昔,帯分数を混数ともよんだようだが,そのほうがまだよかった気がする.(2004/02/08)
計算の順序
小学4年生の娘の宿題をみていて思ったこと.
たとえば,30÷6×5 の計算.
小学校4年生の学習内容であるが,こういう場合は「左から計算していく」ことになっている.
よって,答えは25というわけである.
(6×5を先に計算して,30÷30=1としたら,計算結果が違ってくる.)
教科書をみると,いくつかの「規則」が述べられている.
最初の規則は,そもそもここで行っている演算が2項演算である以上,当然である.
かっこでくくられていると,そこの中がひとかたまりに見えるし,先にやるのだと受け入れるのも容易だろう.
2つめについていうと,計算しやすいところから計算していくというのが,
意外と実際の手計算では有益なのだが.
まあ,それでも左から式をよんでいくというのは自然だろうから,妥協はできる.
しかし,最後の規則は納得できない.
もちろん,疑問を感ずることなく,のみこめるものはそれでよい.
だが,果たして,その理由を答えられるだろうか.
教科書には理由など,いつものごとく,皆無である.
数学的には,むろん,理由などない.ただの習慣である.
煩雑な記述をさけるためだけのものだ.
だから,つまづく子供には,最後の規則を徹底する必要はなく,
「じゃあそんな規則はやめとこう」と教えればよい.
そして,計算結果を一意に定めるため,かっこは1つたりとも省略しないこととすればよい.
2項演算である以上,本来はそういうものである.
すると,かえって記述が煩雑になるというだろうが,
つまづく子供に,記述が煩雑になるほどの長い計算をさせる必要など,そもそもない.
(30÷6)×5 という記述ぐらいなら,煩雑の域に入らない.(2004/1/26)
数学的な考え方
私は,数学の研究者として,一流ではないにせよ,創造的活動をしている.
教育学部に籍を置いているとよく耳にする「数学的な考え方」を意識しながら研究をしたことなど,ただの一度もない.
奇妙なことに,数学で創造的活動をしたこともない人たちが,「数学的な考え方」を分析してリストを作っている.
皮肉なことだ.(2003/8/6)
不等号と絶対値記号
不等号は,現在の教科書では中学1年にならないと登場しない.
数の大小というのは,小学1年生で登場するにもかかわらず.
きっと,小学生は,不等号をひらがなの「く」と誤解するからという誰かの親心なのだろう.
(ちなみに,平成13年までは小学2年生で学習していた.)
絶対値という概念は,中学1年で学習する.
しかし,絶対値記号は高校にならないと登場しない.
2本の縦線をひく間もおしいぐらい,「ゆとり」がないということなのだろう.
概数
今回の学習指導要領改定によって,平成14年度からの小学算数では,これまであった多くの内容が削除された.
その一方で,概数という言葉は残っている.
4年生の上巻において初出し,4年生の段階ではがい数と表記され,
5年になると概数と表記されている.
「おおよその数」という意味であるわけだが,こんな語句を小学生に教える必要があるのだろうか?
教科書では,「33560を,千の位までの概数でいいなさい」などといった問題が組み込まれている.
おおよその数を把握するという目的は,大変重要だと思う.
しかし,だからといって,子供達に概数などという語句を教え込み,上のような問題をとかせることには,
おもしろみのかけらもみえない.
「だいたい,なんぼ」
「約いくら」
「おおよそいくら」で何が悪い.
調べてみると,昭和33年の学習指導要領ですでに概数が記載されていた.
それ以前にもあったと思われるし,その後も残りつづけているに違いない.
ならば,私も習ったのかもしれない.
しかし,最近,仕事で算数の教科書をじっくりみることになって,初めて知ったといってもよい.
概数という言葉のもつ響きが,私には小学生に不適当だと思われるのだ.
「概念」「概説」「概観」「概論」「概則」「概要」「概略」「概況」
いずれも小学生に教える必要のある言葉だとは思えない.
それとも,私が小学生のもつ日本語力を過小評価しているだけなのだろうか.(2000/07/13)
「算数があぶない」関沢正躬 著(岩波ブックレットNo.513)において,
数学者である関沢氏(東京学芸大学教育学部)は,上記の私のように言葉の削除のみならず,
「概数と概算」指導そのものの削除を主張している(pp.24-25).
厳密な四則演算にこそ,むしろ子供は喜びを感じる;
四捨五入を教えることに問題はないが,状況に応じて変わり,価値観に依存する
概数の概念は不要である;
と書かれている.
実際,教科書をみると,
「32416を,一万の位までの概数にしましょう」とか,
「4218007を,上から2桁の概数にしましょう」
などといった問題が出ている.
小学生に周知させるべきことだとは,とても思えない.(2000/08/19)
ゆとり教育
日本では,近年,教育界を中心に「ゆとり」という言葉が氾濫している.
話題になっている2つの本「分数ができない大学生」,「小数ができない大学生」,
先ごろ出たばかりの「ゆとり教育亡国論」(大森不二雄,PHP研究所)
を読んだことを契機として,Web 上で情報を収集した.
アメリカの力強い教育政策には,爽快感すら覚える.
上記のClass-Size Reduction Program では,これからの7年間で1兆2400億円をつぎ込んで,
10万人の教員を採用し,小学校低学年の一クラス人数を平均18人にするといいきる.
義務教育においては,国語と数学を重視するという大統領の発言,それをうけた
教育省のSeven Priorities.
ぜひ,原文を読んでいただきたい.
アメリカは,これまで個性重視,多様化といった方向での教育を行ってきた.
そして,1983年「Nation at Risk」が
発表され,方向転換が図られた.
そのとき,日本の教育が手本とされた.
その方向性は,Clinton 政権まで受け継がれている.
一方,日本は詰込み,知育偏重とよばれた路線を転換して,個性重視,多様化,「ゆとり」路線へと
転換した.
2002年にせまった新学習指導要領では,現行からさらに3割の内容削減があることは
周知のことであろう.
その路線は,現在のアメリカ,イギリスなどとは正反対である.
以前,アメリカは過ちを犯し,当時の日本を見本とした.
そして,今,日本が向う道こそが正しく,アメリカの向う道は再び過ちにいきつくなどと,
本気で信じてよいだろうか?(2000/08/19)
追記:世論が後押しする形で,昨今の教育現場は,学力を保証しようという雰囲気にみちてきた.
また,週5日になった影響が大きくて,授業時間の確保にやっきなっている感がある.
始業式の日から,給食もあれば,授業もある.
教育行政において,何が正しいかなど,決してわかるものではないのだが,
もっとしっかり教育しろというつもりはない.
小学生の娘をみていて思うのだが,小学生にしては遊ぶ時間がなさ過ぎる.
4年生にもなると,週5日のうち,たった1日をのぞけば6時限まであって,帰宅は16時を過ぎる.
宿題も毎日たくさんあって,1時間以上かかっている.
(むろん,それには個人の能力差があろうが.)
我が家では18時すぎに夕食だから,外へ遊びに行く暇もない.
さらに悪いことに,近所の友達が少ない.
遊びたい年頃なのに,学校に拘束されてその時間がとれていないことになる.
時代が違うとはいえ,自分たちが子供のころはこんなものではなかったはずだ.
できれば,18人学級といったものを日本でも実現して,子供のレベルにあった教育を施してほしい.
うちの娘(小学4年生)は,小学1年生レベルの算数もいまだにできないのに,
普通に学級で授業をうけて,ついていけるはずがない.
たとえ,階層化しようとも,各人のレベルにあった教育を受けさせてほしい.
進む子供はどんどん進めばよい.
ついていけない子供を救うには,徹底した進度別,"超"少人数学級の実現だと思う.(2003/4/23)
「はした」
小学校の算数の教科書には,はしたという言葉が出てくるものがある.
たとえば,分数の学習のときなどに,あるものの長さを測定して,
1mと,はしたが出たというような表現を用いている.
意味は,「あまり」ということである.
日本語としては正しいが,子供に教えるべき言葉だとは思わない.
30歳前後の友人数名にたずねたら,肯定的な答えは1つもなかった.
教科書編集を長年やってくると,感覚が麻痺してしまうということだろうか.
それとも,意図があるのか?
意図があるにしても,長年やってきたわりには,肯定意見が少ないということになれば,
成果はなかったということであり,早々に削除すべきであろう.
私は,単に,悪しき伝統を引きずっているだけだと考えている.(2000/09/05)
「倍数」
14年度以降,倍数は6年生(現在は5年生)で学習するのだが,
非常に気になることがある.
それは,「0は倍数にいれない」ということと,「0の倍数は考えない」という2点である.
6社とも,教科書に理由は書かれていない.
専門家にきいたら,次のような理由があるというのだ.
(1)子供にとって心理的に,0倍はむずかしい.
(2)最小公倍数の定義を,「公倍数のうちの最小」として定義できなくなる.
(3)倍数は無限に多くあるといえなくなる.
むろん,数学では,普通,0はすべての整数の倍数と考えるし,0の倍数は0だけであるが,考えても
なんら差し支えはない.
高木貞治「初等整数論講義」をみたってそうなっている.
まず,(1)についていえば,3年生のときから,0をかけることには慣れているのであって,
すべての子供が0倍に困難を覚えるとはにわかには信じられない.
次に,(2)については,最小公倍数の定義で,「0を除いて」という一言をいれたくないがために,
現在のような定義を採用しているのだろうが,それほどまでに例外というものを子供は受け入れられないというのか?
1年のときから,0を足したら,答えは増加せず不変であるという例外的現象には慣れているはずである.
(数学では,正の公倍数の中で最小のものといえばすむわけだが,算数においてはもちろん「負の数」は登場していないし,
「正の数」という言葉も出てこない.ちなみに,算数においては,整数とは,自然数と0をあわせたものになっている.
6年生でそう習ったのち1年もたたないうちに,中学1年で負の数を習い,整数の意味が変わってしまうのである!)
最後に,(3)については,「0の倍数は0しかないけれども」という例外をここでも認めればすむことである.
そもそも,倍数が無限に多くあるという事実をことさら強調する根拠がわからない.
義務教育において子供に強調すべきこととは思えない.
小学校教員にとってはそれが教えやすいのかどうか知らないが,子供は
中学へ進学して,きちんとした定義を習うわけであり,
短い期間の間に定義がゆれるというのは数学の学習において,それこそ
子供にとって不適切だと思う.
確かに,より進んだ数学において,定義の仕方にいろいろあるという場合はある.
しかし,義務教育の範疇で学ぶような非常に初歩的な段階の概念において,
定義がゆれるのは間違っている.
小学校の段階で子供を納得させればよい,こうすれば最大多数の理解が得られるという発想は誤りだ.
「0は倍数として考えない」とか「0の倍数は考えない」とか,普通の親が子供にその理由を質問されたとき,
きちんと返答できるだろうか.
「3かける0は0だから,0は3の倍数じゃないの?どうして倍数にしないの?」と聞かれて
答えられるのというのか?
普通の国民は,「あれ?変だな?」と思うのではないか.(2001/10/09)