21世紀初頭までの都道府県別学校教員需要数推計

山崎 博敏(広島大学教育学部)

Email: hyamasak@educ.hiroshima-u.ac.jp
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(以下は『広島大学教育学部紀要』第一部(教育学)第44号,75-88頁,1996年3月10日発行の主要部分である。なお、現在のところ、図を省略している。)

目次

1.はじめに
2.潮木モデルの検討:推計値と採用数実績値
(1)潮木モデル
(2)潮木(1985)の推計値と採用数実績
(3)潮木モデルの検討
3.本研究のモデル
4.全国の教員需要推計:1993-2012年
(1)小学校
(2)中学校
5.小学校教員需要の都道府県別推計
(1)5年単位にみた各県の需給変化
(2)需給変化の時期からみた各県の分類
6.中学校教員需要の都道府県別推計
(1)5年単位にみた各県の需給変化
(2)需給変化の時期からみた各県の分類
7.退職者効果と教員増減効果の県別比較
8.教育政策へのインプリケーション


引用文献

付表:都道府県別将来児童生徒数、推計の前提となった将来P T比等(工事中)


1.はじめに

 1980年代に入って以降、今日まで約10年以上、学校教員への就職状況が低迷している。その最大の原因は、言うまでもなく児童生徒数の減少によるものであり、その背後には、長期にわたる出生数の低下がある。出生数は、唯一1991年を例外として、1974年から1993年までの20年間、前年を下回るという状況が続いた。
 児童生徒数の減少は、教育界に大きな影響を与えてきた。就学前教育、初等中等教育では、学校・園の統廃合や園児獲得競争などがおきた。高等教育では、学校教員への就職難が起き、1987年以降、全国の教員養成学部には、新課程と呼ばれる非教員養成課程が設置され、約2万人あった教員養成課程の定員は約1万6千人へと20%程度も削減された。戦後最大の大学改革のさ中にある現在、全国の教育学部は、それまでの学部内改革にとどまらず、今や全学的学部再編の標的とすらなっている。
 ところが、このような出生数の低下は1993年をもって終わりを告げた。1994年の出生数確定値は123万8,247人で、戦後最低を記録した前年(118万8,282人)を49,965人も上回る大幅な上昇を示した。しかも、同様に低下を続けていた合計特殊出生率も1.50と、戦後最低であった前年の1.46を0.04上回った。厚生省人口問題研究所の将来推計(平成4年9月フロッピーディスク版)では、出生数の増加は1994年から起き、2004年まで続くとされている。従って、1994年の出生数の増加は、その1年間だけの偶然ではない。しかも、1994年の出生数は、わずかではあるが、将来推計の中位推計の123万7,982人をも上回っているのである。1)
 今後の推移を見守る必要はあるが、この事実は、将来の人口の推移が人口問題研究所の中位推計値に従うのではないかという希望を与えてくれる。仮にそれを下回って推移したとしても、今後約10年続く出生数の増加は、まちがいないのであり、これまで逆風にあった教育界の風向きを180度変えることになる。1994年に生まれた子どもが小学校に入学する21世紀に入ると、ベクトルの方向は、これまでとはまったく逆になる可能性が高くなるのである。
 本論文では、このような人口動態上の環境変化に対応して、将来の学校教員需要が、いつ頃からどの程度増加するか、全国及び都道府県別の推計を行い、都道府県間の多様性を分析する。
 以下、次の2節では、この領域での先駆的研究である潮木(1985,1992)の推計モデルと推計値を検討したのち、3節で、本研究で採用するモデルを説明する。4節では、小学校および中学校の全国レベルでの2012年までの推計結果を報告し、5節では小学校、6節では中学校の都道府県別の推計結果をそれぞれ示す。7節では、小学校を対象として、教員需要に対する教員増減の効果と退職者の効果を都道府県別に比較検討する。最後に8節では、推計結果から導かれる政策的含意を考察する。

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