広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度(前期) 第1回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年4月20日(金9・10時限)
発表者:高橋淳友(哲学,特別研究員)
発表題目:エックハルトの〈イデア−インテリゲンチア〉連関 ―『創世記』のイデア論的解釈を中心として―
配布資料:A3(片面)5枚
プロトコル:住田賢(西洋哲学,B4)

1. 発表要旨

 以下の内容は,発表者の配布した資料に基づいてまとめたものである.

 ドイツ語の論述『離脱について』において,エックハルトが求めてきた離脱とは,それによって,人間が「像」,すなわちイデア−そのうちでは,人と神の間に差異がない−と最も密な状態となりうる最高最善の徳と言われている.そしてまた,この論述の記述は,エックハルトが求めてきた,イデアとの最も密な状態が,アヴィケンナによって言われている,能動知性体との結合であることを示唆している.しかしこのインテリゲンチアは,「最下位のインテリゲンチア」(トマス・アクィナス)であり,分離実体として考えられるものであるから,『離脱について』において,上記の〈イデア−インテリゲンチア〉連関が成立するには,このインテリゲンチアを,神におけるイデアと連関した何かとして解釈する思考が必要となるように思われる.だが,『離脱について』では,エックハルトはこの点を詳しく説明していない.

 今回の発表の目的は,それ故,エックハルトの〈イデア−インテリゲンチア〉連関を,彼のラテン語著作の一つ,『創世記註解』を用いて―特に,モーゼス・マイモニデスの『迷えるものの手引き』及び無名氏の『原因論』における,天使的インテリゲンチアに対するエックハルトの言及に焦点を合わせて―明らかにすることである.そして,エックハルトの述べていることを吟味した結果が示しているのは,彼は,世界創造に関わるインテリゲンチアを,天使のような分離実体としてではなく〈神の知解〉として解釈して,〈イデア−インテリゲンティア〉連関を,言わば〈イデアの場〉たる神におけるものと考えているということである.

 『離脱について』でも恐らくエックハルトは,『創世記註解』の場合と似た仕方で〈イデア−インテリゲンチア〉連関を解釈しているように思われる.〈イデア−インテリゲンティア〉連関の観点からは,離脱とは,人間が世界創造以前のイデアの状態へと還帰し,神が人間をイデアとして〈知解する(インテリゲンチア)〉ことに結び付き,全てを〈知解する(インテリゲンチア)〉神へと結び付くことであるといえるように思われる.

 そしてまた,『創世記註解』においても,アヴィケンナの言葉―「理性的魂の完成は叡智的世界となること」云々―を引用することでエックハルトが示そうとしているのも,上記の離脱のような状態であるように思われる.


2. 質疑応答

[問]分離実体とは何か.

[答]身体から分離した知性のことである.

[問]神と人との一致とはどのようなものか.

[答]知的な形での一致である.

[問]天地創造の中に天使の創造は含まれるのか.

[答]それは,天地創造の<天地>の解釈による.

[問]なぜ天使を媒介として世界が創造されるのか.

[答]神が物質的なものへ直接関わると考えると難があるため,媒介として天使を必要としたものと思われる.

[問]離脱において人と神が一致するというエックハルトの考えは異端なのか.

[答]解釈によっては,異端と考えられる可能性があることは確かである.

[問]インテリゲンチアと一致することによりイデアと一致する場合,媒介者を通じてイデアと一致することになるが,それは可能と言えるのか.

[答]今回取り上げたエックハルトの訳では,インテリゲンチアとは神の知性認識の在り方と解釈されている.従って,インテリゲンチアと一致することはイデアと一致することと等しい.

[問]最下位の能動知性,受動知性,可能知性という表現をした場合,それは何を表わすのか.

[答]人によってそれらの表わす意味が違うので明確には答えられないが,形相を与えるものが能動知性,形相を受けるものが可能知性である.アヴィケンナの場合,能動知性は流出してきた知性体のうち,最下位の知性体となる.受動知性については,説明がさらに必要なので,別の機会にしたい.

[問]神を複数形で表わすことは,神の人間を超えた能力を表わすためではないのか.

[答]そのような尊敬の複数としての文法的解釈も存在する.

[問]離脱が可能であるということは,人間の知性と神の知性を限りなく近付けることができるということになるのか.

[答]被造物である人間の知性では,神の知性の在り方をそれ自体では把握することはできない.だが,離脱という在り方も神によって知られているものである以上,恩寵によって,神によって知られた在り方を体現するといった形で近づいていくものと思われる.

[問](天地創造の)〈始め〉に,〈神の言葉〉において,事物はイデアとして,まさに「永続的なエッセ」を有するとするとき,その〈言葉〉とはどういう意味を持っているのか.

[答]知性認識の内実という意味を持つ.

[問]質料的知性というときの質料とは何か.

[答]物質的な事物の場合,質料に形相が与えられているように,思惟認識においても,知性を現実態とする形相が必要であり,その形相が与えられている知性のことを質料的事物に比して考えた場合,質料的知性と呼ぶことがある.

[問]エックハルトにおいて,神の内に作り手とイデアを内包させて考えることは可能であるか.また可能であるとした場合,プラトンの述べているデミウルゴスの位置づけと矛盾しないか.

[答]可能である.矛盾しているかどうかは,エックハルトの解釈にかかってくると思われる.

[意見]神の外に事物を想定する場合,神の外にある世界の存在を神の自己認識とどう絡めて説明するかが重要である.




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