広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
(仮設Webページ)


哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第2回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年5月6日(木7・8時限,B102)
(発表時間:15:25〜15:44)
発表者:木下一正(哲学,D2)
発表題目:エンテューメーマとディアノイア〜アリストテレス『レトリカ』と『創作論』より
配付資料:B4原稿2枚
プロトコル:高橋祥吾(哲学,D1)

1.発表要旨

 レートリケーの研究対象は三つ,つまり,説得,語り方,配列である.このうち,説得に属するものであるところの,実例,格言,エンテューメーマについて,アリストテレスはディアノイアをめぐる事柄と呼ぶ.しかし,アリストテレスはこのディアノイアをいかなる意味で考え,レートリケーにとっていかなる意味をもつと考えているのか.発表の目的は,レートリケーの中でのエンテューメーマの位置を明らかにすることである.
 まず『創作論』において,レートリケーの研究分野に固有なこととして,ディアノイアに関わる事柄が挙げられている.さらに,ディアノイアとエートスとの対比に基づいて,ディアノイアの言論の特色が明らかになる.
 エートスは,何を選び何を避けるかという選択を明らかするものなのである.つまり,性格や人柄は選択を示す言論の中で現われるとアリストテレスは考えている.ゆえに,劇中人物の言論がその人物のエートスを含んだものとなるためには選択を含まねばならない.それに対して,ディアノイアは,証明したり,自分の意見や考えを表明したりする言論によって示されるのである.つまり,言論にはエートスを示す言論とディアノイアを示す言論がここで区別されているのである.
 言論にはエートスを示す言論とディアノイアを示す言論があり,さらにディアノイアを示す言論には,証明や反証のような,ロゴスによるもの,また,パトスを引き起こすことの二者が存在することになる.このうち,ロゴスによるものがエンテューメーマに対応することになる.ディアノイアは魂の区分の一つであり,エンテューメーマはディアノイアを示す一つの方法なのである.
 ゆえに弁論家はディアノイアを働かせ説得し,聞き手はディアノイアをもって説得されるのである.その場合に最も力を注がなければならないものがエンテューメーマと考えて差し支えないであろう.したがって,アリストテレスのエンテューメーマは弁論家や弁論を作成する人のディアノイアをめぐる事柄の分析であると考えることができる.
 魂の区分と言論の区分の対応から,弁論とは,我々の魂を言論で示すということができる.そして,エンテューメーマは考えや思案を意味し,そのエンテューメーマを語るという仕方でディアノイアを示すのである.決して,省略三段論法といった,形式的な事柄を語っているのではないのである.

2.質疑応答

[問] なぜ「魂」という表現が出てくるのか.「魂」がどのように問題となっているのか.
[答] 『ニコマコス倫理学』の中で,「魂(プシューケー)」の卓越性(アレテー)としてディアノイアとエートスが挙げられているから.『ニコマコス倫理学』ではエートスが扱われている.また,プラトンの用法ではディアノイアという言葉が精神と意味することも,「魂」が本論と関係していると考える理由である.

[問] ディアノイアをめぐる事柄として,エンチーメーマの他に実例や格言が挙げられているにもかかわらず,エンチューメーマを最も重用視する根拠は何か.
[答] 『レトリカ』の中でアリストテレスは,エンチューメーマについて最も多く語っているからである.

[問] ディアノイアとエートスの違いはどこにあるのか.エートスも言論によって表されるということから考えるなら,最終的には重なってくるのではないか.
[答] そのようになるかもしれない.

[問] 「卓越性」と言うが,何に対して卓越していてそう呼ばれるのか.
[答] 何かと比較しているわけではなく,魂が優れているという意味で「卓越性」と呼ばれる.

[問] 言論は魂だけを表すのか.
[答] 弁論の場面ではそうである.

[問] 『創作論』では,ディアノイアとエートスという2つの区別がされ,『レトリカ』では,エートス,パトス,ロゴスの3つに区別されている.では,ディアノイアにパトスとロゴスが含まれていると考えてよいのか.
[答] 問題ない.ディアノイアには,言論そのものとパトスの別がある.

[問] エンテューメーマを専門用語として理解する解釈とそうではない解釈の現在の研究状況はどのようなものなのか.
[答] 基本的には専門用語として理解する解釈が広まっている.他方,そうではない解釈をする先行研究は少ないが,発表者としては,専門用語として理解しないほうがアリストテレスの考えに合っていると考える.

[問(意見)] 問題がギリシア語に固有なものになってしまっていないか.



戻る→ 哲学・インド哲学「論文ゼミ」