広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度(前期) 第2回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年4月27日(金9・10時限)
発表者:高橋祥吾(哲学,D3)
発表題目:『イサゴーゲー』における固有性について
配布資料:B4(3枚)
プロトコル:高橋淳友(哲学,特別研究員)

1. 発表要旨

 以下の内容は,発表者の配布した資料に基づいてまとめたものである.

 発表者は,ボエティウスにより,アリストテレスの『カテゴリー論』のための入門書とされたポルピュリオスの『イサゴーゲー』が,その内容という点で,「アリストテレスや,ペリパトス派の哲学にだけ負っているわけではない」ことを重要視している.発表者によると,この発表で意図したことは,「ポルピュリオスの固有性についての説明を吟味し,そのアリストテレスのそれとは明らかに異なる点が存在することを明らかにする」ことであるという.そして発表者は,アンモニウス,エリアス,ダヴィド,そしてBarnesの意見を参照しつつ,議論を進めて行く.

 発表者によると,『イサゴーゲー』で挙げられている「四つに区分される固有性」は,「常に」,「それだけに」,「すべてに」という「三つの条件の組み合わせによって区別されている」.すなわち,「ひとつめの固有性」は,「それだけに」だけが,「第二の固有性」は,「すべてに」が,「第三の固有性」は,「それだけに」と「すべてに」が,それぞれ「条件として付属」するもの,そして「第四の固有性」は,「三つの条件すべてが付属している」もの―『イサゴーゲー』の言葉を用いるなら,「「それだけに」と「すべてに」と「常に」(という条件)が,それに対して同時に起こるところのもの」―である.発表者によると,「はじめの三つ」と「第四の固有性」との間では「明らかな違い」があり,それは,「はじめの三つは,基体となる種に固有性が属するとき」,それは「付帯的に属する」ものとして扱われているのに対して,「四番目の固有性」は「付帯的に属する」とは言われていないという点であるという.

 この四番目の「固有性」はまた,「厳密な意味での固有性」であるとされていると発表者は述べる.発表者は,ポルピュリオスによって,この固有性に対し,「交換して述語付けられるもの」―アリストテレスが『トピカ』で述べている「固有性」の説明―という点での言及がなされていることから,「四番目の固有性についてのポルピュリオスの説明は,明らかにアリストテレスの影響を受けている」とする.それに対して,「その他の三つの固有性」は,上記のエリアス等の見解も踏まえた発表者による吟味の結果,「アリストテレスの固有性とはそぐわないものであると言えるだろう」とされる.

そして発表者は,今後の課題として,「これらの違いが,ポルピュリオス以後どのように解釈され,それがアリストテレス解釈に影響を及ぼしたか」という点を挙げ,発表を終える.


2. 質疑応答

[問]今回の発表の配布資料の注6に,「ポルピュリオスの場合,固有性は種に属するものである」とある.なぜポルピュリオスの固有性は「種」を軸としているのか.

[答]アリストテレスは,種に属するということを特に「固有性」の特徴としているわけではなく,アリストテレスとの〈対比〉という点で強調している.

[問]ある特定の人物が持つ在り方は「固有性」の対象にはならないのか.

[答]アリストテレスは問題としているが,ポルピュリオスは,その人をその人たらしめているものとして「固有性」を用いていない.

[問]配布資料4頁に,「アリストテレスは固有性を『トピカ』では,「それだけに属するもの」で且つ「交換して述語付けられるもの」と規定している」とある.この,『トピカ』におけるアリストテレスの固有性の定義をもう少し説明してほしい.

[答]「交換して述語付けられるもの」とは,主語と述語を入れ替えても意味がとおるということ.「それだけに属するもの」とは,〈基体〉だけに属するということ.

 以上の他に,学説史的背景についての質問,ポルピュリオスの頃,「ベン図」のような表示の仕方があったかどうかについての質問,『イサゴーゲー』で固有性が「動詞の不定形」として挙げられていることの意味についての質問等があった.

 また,意見として次のようなものがあった.すなわち,配布資料には,「四番目の固有性」―「付帯的に属する」とは言われていないそれ―の例としてポルピュリオスが用いている,「笑いうるもの」が「人間」に起こる場合が挙げられているが,「これはやはり付帯的なもの,つまり,時によっては「笑う」という点での付帯的なものではないのか」,「そしてこの場合,「付帯的に属するもの」として言及されているのとは違う〈付帯的な在り方〉が想定されることになり,「付帯的」ということが二種類あることになるのではないか」,というものである.

 さらに,「アリストテレスが言っていないことをポルピュリオスが言っているからといって,それが,アリストテレスにそぐわない事だとは限らないのではないか」,という意見も出された. 





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