広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
(仮設Webページ)


哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第3回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年5月13日(木7・8時限,B102)
発表者:石村克(インド哲学,M1)
発表題目:クマーリラの認識本性的真論(svatah@pra@ma@n@yava@da)の概説
配付資料:A3原稿1枚(表裏)
プロトコル:松岡寛子(インド哲学,M2)

1.発表要旨

 svatah@pra@ma@n@yava@da とは,認識が真 (pra@ma@n@ya) であることは自律的 (svatah@) であり,偽であることは他律的であるという理論 (va@da) である.これ によれば,ある認識が真であることを決定するためにはその認識の原因について省み る必要はなく,一方ある認識が偽であることを決定するためにはその認識の原因の欠 陥を知る必要があるということになる.クマーリラの主張するところによると,認識 が本性を得て発生するためには原因は必要であるが,その認識が真であることを決定 するためには必要ではない.真であることの決定は,認識の発生の結果であって,認 識の発生の原因の結果なのではない.だから,認識〔の発生〕の原因は,認識が真で あることに影響を及ぼさない.他方,認識が偽であることは認識の原因の欠陥による. 認識が偽であることが決定されるのは,その認識が後の相反する認識によって否定さ れるか,その認識の原因における欠陥が認識されるかすることによる.このような認 識がのちに起こらないかぎり,最初の認識は,認識であるという理由だけで真である. この理論はヴェーダの絶対的権威を擁護するための最も重要なものである.ヴェーダ は作者をもたない言葉なので,言葉の原因たる作者(発話者)がもつ欠陥の可能性が 全くない.したがって,この理論を適用すれば常にヴェーダは真であることになる.

2.質疑応答

[問] 「本性的」とは何か?
[答] 自らもたされるものであり,外からもたらされるものではないものである.
[コメント] 「本性をもたない」という文脈における「本性」と混同するおそれがあ るため,「自律的」と訳すほうが適切ではないか.

[問] 「認識の原因の卓越性」について.
[答] 「認識が真であること」を決定するためには,認識の原因(この場合は話し手) の優劣を確認しなければならない.

[問] なぜヴェーダが認識本性的真論から「真」と判断されるのか?
[答] 「真」が他律的であるとすれば,根拠が「真」でなくてはならず,さらに根拠 を「真」とする認識が「真」でなくてはならず,無限遡及に陥ってしまうから,「真」 は自律的である必要がある.ヴェーダによって知られるダルマは人間の知覚を超えて おり,原因のない「本性」のみである.

[問] ヴェーダは口承される性質のものであるが,その信憑性はどのようにして保証 されるのか?
[答] 口承の経緯における伝え間違い等は問題とされない.ヴェーダは神より先に無 始爾来存在するものとされ,不変のものとみなされている.

[問] 実在と言語との対応関係はどのようか?「丸い三角」という言語表示があるよ うに,言語表示対象は必ずしも実在するとは限らない.
[答] 「丸い」は実在であり,「三角」は実在である.単語レベルではいずれも実在 である.このように個別ではなく,普遍としてみなすとき,「丸い三角」の非実在が 判断される.



戻る→ 哲学・インド哲学「論文ゼミ」