広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2005年度 第3回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2005年5月12日(木7・8時限,B102)
発表者:高橋祥吾(哲学,D2)
発表題目:『トピカ』A巻での定義,類,固有性,付帯性の区別について
配付資料:B5原稿8面
プロトコル:槙尾朋子(西洋哲学,B4)

1.発表要旨

 発表の目的は,『トピカ』A巻4章以降で論じられている述語付けられている ものの種類とその区別の基準をできる限り明確にすることである.
 アリストテレスはディアレクティケーで用いられる問題は,4種類の「述語 付けられているもの(プレディカビリア)を明らかにする.その4種は,定義, 固有性,類,付帯性である.「定義は『何であったか(本質)』を意味する説 明方式である.(Top. 101b38)」と言われ,「固有性は『何であった か』を明らかにしないものであるが,しかし固有性はそれだけに属し,その事 物に交換して述語付けられる.(Top. 102a18-19)」,「類は,数多く の種において異なるものどもについて,『何であるか』の中で述語付けられる ものである.(Top. 102a31-32)」,「付帯性は,これらのうちのどれ でもないもの,つまり,定義でも,固有性でも,類でもないが,事物に属する ものであり,そしてなんであれ或一つの同じものに属することも,属さないこ ともありうるものである.(Top. 102b4-7)」と,それぞれ述べられて いる.
アリストテレスは,これらをどのように区分しているのか.これら4種は大き く二つ,すなわち定義と固有性の組と,類と付帯性の組に分けられる.この二 つの組に分ける規準は,「交換して述語付けられる」かどうかである.「交換 して述語づける」とは,あるXについてBが述語付けられるものに,Aも述語付 けられ,Aが述語付けられるものにBも述語付けられることを言う.さらに,定 義と固有性の組は,「何であったか(本質)」を指し示すかどうかで区別され る.他方で,類と付帯性の組は,「『何であるか』の中で述語付けられるも の」かどうかによって区別される.「『何であるか』の中で述語付けられるも の」とは,実体のカテゴリーを示す述語が述べられているもののことである. 以上が,述語付けられるものの4種類についての概略的な説明であるが,個々 のトポスにおいて4種類のそれぞれの規定がどのようになっているかは,より 詳細な議論を必要とする.

2.質疑応答

[問] l.173-4「論駁されないような問題を作る」とはどういうことか.

[答] 問答する際に,相手に論駁されないように,という意味である.注16の『トピ カ』冒頭を参照されたい.

[問] 「何であったのか」というのはどういう意味か.

[答] アリストテレスの用語で,to ti en einai(ト・ティ・エーン・エイナイ)の 直訳で,普通は,「本質」と訳している.

[問] 定義については,具体例を挙げられないか.

[答] 「人間(被定義項)は,二足歩行の動物である」という例を挙げられる.

[問] l.32で,種差が含まれていないのはどういうことか.

[答] 「種差+類=定義」と考えられるので,種差は,類に関係して語られるものと して処理している.

[補足コメント] アリストテレスの「定義,固有性,類,付帯性」の4つは,ポルピュ リオスの『エイサゴーゲー』(ボエティウスのラテン訳では『イサゴーゲー』)にお けるPraedicabiliaあるいはQuinque Voces(5つの声)と呼ばれる「類,種,種差, 固有性,付帯性」という5つとは,やはり違うのではないか.特に,「類」に関して は,視点の置き方によって,相対的な関係である「類-種」という概念と,厳密な 「類」と「種」というものを区別して考える必要がある.

[問] l.74で,定義を「名前によって」なすということはどういうことか.

[答] 名前,すなわち,単語を1つ言っただけでは,定義にはならないということ.

[問] 「説明方式」というのは,どういう方式か.

[答] logosの訳語で,語ではなくて文による説明,phraseによる説明ということ.

[問] 「述語付けられる」という表現の意味は?

[答] AがBに述語付けられる,というときは,BはAである,ということであ(AはBの 述語になっている).「人間は白い」ならば,「白い」が述語付けられている(述語 になっている).

[問] l.66以下で,付帯性は,定義でも,固有性でも,類でもない,と言われるが, 〜でない,と言われるだけで,あいまいな規定ではないか.

[答] たしかに,あいまいだと思う.

[問] l.85以下で,「人間」の固有性という際の「人間」とは何か?

[答] 「人間」という種,あるいは,普遍名詞としての「人間」を考えている.

[問] ディアレクティケー(問答法,弁証法)とは,問題が与えられたときにだけ返 答するという受動的なものなのか?

[答] こちらから,問いを行なうことも含めるので,双方向的である.

[問] l.101での「何であるか」は,「何であったか」とは異なるのか?

[答] ここでは,違うものとして提示しているが,同じであると解釈する人もいる.

[補足] 「何であるか」が「何であったか」と同じと解されるのは,両者が実体の範 疇を指している場合で,「何であるか」という問いが,実体以外(すなわち,量,質 など)を指している場合は,「何であるか」は「何であったか」と異なると解される.

[問] 文が問題になっているのか,概念なのか.述語が何かが問題で,それが4つか, 5つであるというのか.

[答] はい,そもそも,プレディカビリアという言い方がおかいしかもしれない.

[コメント] やはり,ポルピュリオス,ボエティウスの用語法とアリストテレスの場 合の区別が必要だろう.
 
[問] l.77以下で,名前によって定義を与えている人は正しく与えていない,という のはどういうことか.

[答] 名前によっては与えられないが,logosによって与える,という意味.

[問] logosとは何か.

[答] 単語ではなく,phraseということ.

[問] アリストテレスには,周延関係という発想はないのか?

[答] 外延によっては考えている.同延の例のように.

[問] アリストテレスには,量的(コメント:量化のこと)概念はあるのか?「すべ ての人間は・・・」のように.

[答] 「全称」ということは考えている.

[コメント] ポルピュリオス,ボエティウス以降に用いられるのはpraedicabiliaは 「述語付けられうるもの」という意味をもっている.アリストテレスの場合について 用いるには検討を要するのでないか.



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