広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度(前期) 第3回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年5月11日(金9・10時限, B253)
発表者:石村克(インド哲学,D2)
発表題目:情報伝達と虚偽性の間の矛盾について
配布資料:A4用紙4枚(両面)
プロトコル:田村昌己(インド哲学,M2)

1. 発表要旨

 シャバラは,『ミーマーンサースートラ注解』において,ヴェーダ聖典の規定文が<真>であることを証明するために,情報伝達と虚偽性の矛盾を理由の一 つとして挙げている.情報伝達と虚偽性の矛盾は,情報伝達と情報虚偽性の矛盾,すなわち「認識根拠は真実の情報を認識させる.虚偽の情報を伝達するもの は認識手段ではない」ということを意味していると考えられる.しかし,例えば誤報などがあるように,情報伝達と虚偽性が矛盾することは我々の常識に反す る.

 この点について,クマーリラは,『シュローカヴァールティカ』において,自律的真性論を展開した後に情報伝達と虚偽性の矛盾について解釈を示し ている.クマーリラによれば,ここで反論者にとって非人為的であるヴェーダ聖典の虚偽性として残されているのは,認識を生じさせないこと(無認識)であ る.すなわち,彼の解釈によれば,情報伝達と虚偽性の矛盾は,「認識を生じさせ,かつ認識を生じさせない」ということは矛盾しているということを意味し ていることになる.

 しかしながら,『ミーマーンサースートラ注解』を素直によんだ場合,虚偽性は実際には存在しない事柄を認識させること,つまり錯 誤性と解釈される.虚偽性を無認識とするクマーリラは,シャバラの言明を逐語的に解釈しているわけではない.また,クマーリラの提唱する自律的真理論 は,情報伝達と虚偽性の認識の矛盾をある側面から明らかにしている.認識は認識者に対象を確定させる.そして,対象が認識されたとおりでないことはまた 別の認識が確定させる.別の認識が生じるまでは,認識者は対象が認識されたとおりであることを信じている.情報伝達は認識者に情報を確定させるのであ り,情報が虚偽であることは確定させない(情報伝達と虚偽性の認識の矛盾).情報が虚偽であることは他の情報伝達によって確定されるのである.しかしな がら,この理論は情報伝達と虚偽性の矛盾の解釈として提示されているわけではない.

 今後は,プラバーカラの情報伝達と虚偽性の矛盾についての解釈を 明らかにし,それを含めて総合的に検討することによって正しい解釈を導くことが課題である.


2. 質疑応答

[問]ヴェーダ聖典とダルマはどのような関係か.

[答]ダルマはヴェーダ聖典だけによって認識され,他の認識根拠によって認識されるものではない.しかし,ヴェーダ聖典に規定されていることでも,「至 福をもたらす」という条件を満たさないものはダルマではない.以上のような関係にある.

[問]ヴェーダ聖典には作者である人間が存在しないということをどのように証明するのか.

[答]ヴェーダ聖典の作者の存在を知る方法(認識手段)がない.クマーリラは認識手段がないことにもとづいて対象が存在しないことを確定できると考えて いるから,ヴェーダ聖典の作者は存在しないことが確定される.

[問]他の研究者たちはこの問題をどのように扱っているのか.

[答]このシャバラの言明の逐語的な研究はまだない.

[問]「情報の新規性」の概念が考慮されるべきではないか.

[答]この文脈では,「新規情報供与性」は問題からはずされている.

[問]情報の伝達とはどういうことか.情報に対応する言語はあるのか.対象と情報は区別されるものなのか.もしも,区別されるものであれば,伝達という 表現はあまり妥当的ではない.なぜなら,伝達とは同一のものを他に移行することだからである.

[答]情報に該当する言語はないが,便宜上,顕現している対象を「情報」という言葉で示している.したがって,対象と顕現している対象は区別される.錯 誤的認識は実際の対象と顕現している対象が違ってはじめて成立する.この場合,顕現している対象は過去に認識された別の時間と空間に存在するものであ る.

[問]対象の顕現とそれに対する判断はどのような関係にあるのか.

[答]言葉の有無.言葉が関わっている認識はすべて判断である.

[問]「精神器官が飢えなどによって損なわれている」とはどういうことか.

[答]飢えによって精神器官が集中できなくなるなど,能力を発揮できなくなることである.

[問]「〔情報が〕そうでないこと」と訳した‘atatha@bha@va’という語を「虚偽であること」と訳すことはできないのか.

[答]この言葉を外界対象が認識と対応していないこととクマーリラが解釈している箇所がある.外界対象が虚偽であるという表現は日本語として成立しな い.この問題を無視すれば,認識と対象の対応性にもとづく真理観において,虚偽と訳すことは妥当する.

[問]真なる認識の条件として,なぜ生じていることが必要なのか.

[答]生じていない認識は対象を確定する根拠にならないからである.




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