比較論理学プロジェクト研究センター/第4回研究会

発表日:2004年1月14日
場所:大会議室
発表者:沖和史(種智院大学)
発表題目:インド後期仏教における唯識の思想と知覚の理論
配付資料:A3用紙1枚(レジュメ)
時間:発表 15:00〜15:35
   質疑 15:35〜16:00
司会:本田義央(インド哲学・助手)
プロトコル作成:江崎公児(インド哲学・博士課程後期1年)


発表要旨

  表題を論ずるにあたり、第一に後期唯識思想が形成されるための3つの歴史的前 提を想定するべきである。その第一は二種類の対応理論、すなわち無形象知識論・有 形象知識論である。後期唯識派はこの二種の対応理論はわれわれの全経験を超える事 態を前提とする点で誤っているとする。第二の前提は、日常生活における「有用性」 をもとにした外界実在論は、哲学的対話のための基礎であると考えるダルマキールティ の立場である。彼を受け継ぎ、日常経験における認識理論と究極的立場における認識 理論の基礎理論として、自証(自己認識)説を後期唯識派は受容した。第三の前提は、 龍樹を受け継ぐ一切法空性の思想と唯識派の二取空(認識主観・認識客観の非実在性) の思想である。後期唯識派は自証説と二取空説とを両立させる。  次に後期唯識派の主要理論を概観する。後期唯識派が唯識説を主張する際の認識論 的主張は次の通りである。(1)正しい認識は現量(直観)と比量(推理)の二種に 限られる。(2)認識の直接的対象(graahya)は現に立ち現れている認識領域内の形 象(pratibhaasa, aakaara) であり、間接的対象(adhyavaseya, praapan.iiya)は 行 為対象 (pravrittivis.aya, praapan.iiya)であって、経験領域の外にある「もの自 体」である。(3)自証説(あらゆる認識は認識それ自体を直観する性質を持つとい う理論)が基礎理論である。(4) 「自己認識には所取能取(主観客観)の分裂は ない」ということが二取空の意味である。  後期唯識派は大きく無相唯識派と有相唯識派に分類される。無相唯識派が採用する 唯識説の基本的枠組みは次の通り。(1)いかなる世間的認識も、外界にあると構想 された存在を行為対象とする「虚妄分別(判断)」である。(2)「虚妄分別」内部 の、対象像(所取相)とその認識(能取相)という「二取の形象」は単なる顕われに すぎず、実在しない。それゆえに二取の構造を持つ世間的認識は虚偽なる認識である。 (3)虚偽である証拠は「拒斥(baadhaa, baadhana)」である。 虚偽なる形象は拒斥 されるが、認識それ自体(自己認識)は拒斥されない。(4)それゆえ、形象を伴わ ない自己認識(prak県am荊ra, 輝きのみ)が真実在である。  有相唯識派が採用する唯識説の基本的枠組みは次の通り。(1)いかなる認識も自 己認識としては直観知(現量)であるから、正しい認識である。(2)自己認識は 「現に立ち現れている形象(自相の立ち現れ)」に他ならないので、二取の構造を持 たない。それゆえ真実在である。(3)認識外部に行為対象を措定する認識は判断(v ikalpa, adhyavas軽a)である。(4)判断は判断の形象を自己認識する限りでは正し い認識であるが、凡夫に必然的に外界存在を構想させるから錯誤知である。


質疑応答(摘要)

問:後期唯識派では、瞬間毎に異なる認識の自己同一性は保証されるのか。

答:基本的には、無我説を唱えているので、認識の自己同一性は考えない。

問:ディグナーガ、ダルマキールティ以降の仏教認識論の伝統の中で、なぜ経量部と 唯識派という二つの立場を使い分けて議論を展開しているのか。

答:外界の存在を認める学派との共通の基盤に立って議論する必要があるからだと考 えられる。

コメント:後期唯識思想における最大の論争であった有相派と無相派の対論が明快に 解説された。「自己認識」の概念に関する極めて有意義な議論がなされた。


以上