広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度(前期) 第5回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年5月25日(金9・10時限,B253)
発表者:松岡寛子(インド哲学,D2)
発表題目:『大乗荘厳経論』「求法品」における幻 術の譬喩について
配付資料:A3原稿2枚(両面)
プロトコル:根本裕史(インド哲学,D2)

1. 発表要旨

 周知のように,『大乗荘厳経論』第十一章「求法 品」第十五頌から第二十九頌までの全十五頌にわ たってマイトレーヤによって幻術の譬喩が説示され る.ヴァスバンドゥによって「〔三性の〕真実のた めの幻術の譬喩の追求」(MSABh XI[L59, 2])とまとめられ る,この幻術の譬喩が開始される第十五頌では, 「非実在の構想」(abhuutaparikalpa, 虚妄分別)が幻術 に,「二者の錯誤知」(dvayabhraanti, 二種迷)が幻術に よってつくり出されたもの,象などの姿にそれぞれ 同定される.この「二者の錯誤知」,所取・能取, 認識対象・認識主体の錯誤知を,ヴァスバンドゥ は,「所取・能取として顕現せしめられるもの」と 注釈する.これについて,先行研究はいずれも「二 者の錯誤知が所取・能取として顕現せしめられる」 と解釈している.「幻術において象などの姿が象な どとして顕現する」ことと「虚妄分別において二者 の錯誤知が二者として顕現する」ことは確かに構造 を同じくする.しかしながら,錯誤知が顕現せしめ られるという解釈ははたして意味をもつのか.

 後期唯識思想家の代表的な有相唯識論者ジュ ニャーナシュリーミトラは,自著『有相唯識論』第 VI章「二不二章」において,唯識学系における有相 唯識説の正統性を論証するために,当該の一連の偈 頌,第十五頌から第二十二頌にわたってヴァスバン ドゥ釈とともに引用するなか,当該の「顕現せしめ られる」(pratibhaasita)という語を「存在すると決定さ れる(措定される)」(adhyavasita)と換言する.

 本稿は,ジュニャーナシュリーミトラのこのよう な示唆を踏まえ,第十五頌から第二十三頌の試訳を 提示しつつ,(1)二者の錯誤知が所取・能取として顕 現することの妥当性,(2)『大乗荘厳経論』における 「形象」とは何か,この二点を明らかにした.


2. 質疑応答

[問]幻術の譬喩を踏まえれば「〈非実在の構想〉 から所取・能取がつくり出される」という構造で捉 えることが可能であるが,これはいかなる意味か? [答]〈非実在の構想〉が,存在しない能取・所取 を「存在するもの」として構想することを意味する.

[問]〈非実在の構想〉を二者そのものとして捉え ることが世俗的真理である,というのはいかなる意 味か?

[答]能取・所取の顕れに実在性がないことが勝義 的真理である.それに対し,有を無と捉えたり,無 を有と捉えることが世俗的真理である.

[問]根拠の転換(転依)とは何か?

[答]迷いの世界から悟りの世界へと移ることであ る.

[問]「我法」とは何か?

[答]我とは認識する主体,法とは認識される対象 のことである.

[問]存在の一向性,非存在の一向性とは何を意味 するのか?

[答]存在するものが存在しないことはなく,存在 しないものが存在することもない,という意味であ る.

[問]小乗によって涅槃に向かうというのは,いか なることか?

[答]小乗,大乗それぞれにおける涅槃観の相異 がある.小乗において,声聞・独覚は,急いで涅槃 へ向かうが,大乗においては,菩薩は,衆生を救う ため,涅槃にとどまることがない(無住処涅槃). それぞれの涅槃観の経緯は,注釈者ら(アスヴァ バーヴァ,スティラマティ)によって次のように説 明される.




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