広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2005年度 第5回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2005年5月26日(木7・8時限,B102)
発表者:國岡賢彦(西洋哲学,B4)
発表題目:シェーラー的「神」と宗教的「神」との比較
配付資料:B5原稿4面
プロトコル:稲葉泰士(哲学,D3)

1.発表要旨

シェーラーのルサンチマン論を述べる上で,彼が定義する「愛の神」であるキリスト教的「神」の本来的姿とはなにか.すなわち,無限の愛の人格とされる「神」はルサンチマンの対象となるものなのか.それを知るために先ず,そもそも宗教,特にキリスト教において神はどのように位置づけられているのかを明らかにしておきたい.
シェーラーにおける「神」とは「愛の人格」である.古代ギリシャ,ローマにおいて愛とは「「低いもの」が「いっそう高いもの」に向かう傾向」であり,「それ自身はもはや愛することのない神性,一切の多様な愛の活動に統一を与えるような永遠の安らぎをもった目標をのみ表す神性にまで至る過程である」であった.つまり,神とは「「善の理念」や「形式の整った秩序」やロゴス」といった最高事象を成し遂げる価値のあるものであった.それがキリスト教においては「すべての成果が人格の内なる愛の存在の象徴および認識根拠とみなされるというあり方の愛」すなわち,「おのれの愛の業の結果として―もつような「人格」」としての「愛の神」になるのである.では,宗教一般としての「神」とは何か.「最高の恐れは神への恐れである」(アイスキュロス)に表されるように,「神々は命を与える.まったく同じようにかれらの怒りは命を滅ぼすこともできる」,「神とは権力,支配を意味し,尊敬されていたるべきものを意味する」,神とは畏怖の対象であった.それゆえ,神の威力によって「一般に宗教は,姿の見えない上位者に依存し,従属し,服従することを暗に含む序列制度として受け入れられており,宗教における序列や依存の認識は,あらゆる古代宗教に顕著である」,階級,序列制度を保障する.それだけでなく「神々がなければ宣誓もないだろうし,したがって信頼と協力の基礎,法行為の基礎,商取引の基礎もないだろう」,すなわち「共通の意味の宇宙」という威力により人間の営みそのものを根拠づけるものであった.前述まではあえて分けたが,この「神」の定義はシェーラーのいう「神」にも当然適応されねばならない.
愛の「神」,威力としての「神」,この定義は神の人へのアガペーがなりたつといえる.このアガペーにおいて,ルサンチマンとはエロースであるのか.次への課題,シェーラー的ルサンチマンの定義において神とは何か(エロース的なものなのか)という問を探求したい.


2.質疑応答

[問] タイトルの「シェーラー的」とは如何なる意味か.
[答] この発表では,「シェーラー的」という言葉を,「キリスト教的愛」(の)という言葉で表現している.

[問] 発表の論旨はどのようなものであるのか.
[答] 古代の神は絶対であり,世界の根底である.その意味で確かにルサンチマンの対象となる.しかし,そもそも絶対的なものがルサンチマンの対象になるのか,という疑問が生じる.この疑問に対する解答は,シェーラーの言う「神」が古代の神のようにどこまで絶対的で在り得るのか,という問を解明することによって為されるであろう.以上が発表の要旨である.

[問] 多神教を想定して,古代の神について論じているか.
[答] 想定はしていない.今後の課題としたい.

[問] 宗教における序列,下位から上位への抑圧に対する反発が発表で言うルサンチマンなのか.
[答] 宗教における序列の,下位から上位への,下位が上部に抑圧された怨恨がルサンチマンである.

[問] 宣誓をするために神が必要である根拠は何か.
[答] 宗教的な必要性,すなわち「神の絶対性」の必要性.

[問] 宗教的神を説明するのにヴァルターの引用をするのは何故か.シェーラーがそれに関して言及しているのか.
[答] 質問に十分に答えるには,まだ研究が進んでいない.

[コメント] ゼ(ー)ン(ze^n, 命)−ゼウス−キリスト,という三段階の神を考えると,混同が防げるのではないか.

[コメント] 先行研究を参考にして研究の足がかりにしたほうが良いのではないか.

[コメント] 引用の仕方,また発表を地の文で表現することに関して注意してほしい.

[コメント] 宗教理解の類型を整理してはどうか.



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