広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2008年度(前期) 第5回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2008年05月23日(金9・10時限,B253)
発表者:米森慈子(哲学,M2)
発表題目:トマス・アクィナスのイデア説−個物のイデアと人間存在−
配付資料:B4原稿3枚(片面)
プロトコル:加藤良太(西洋哲学,B3)

1. 発表要旨

 トマス哲学における個物のイデアの措定の意味を人間存在の観点から考察する.トマスのイデア論はプラトンのイデア論に共通する点を持ちつつも,個物のイデアの存在を強調する点で特徴的である.そして,宇宙の全体性に対して,人間をはじめとする諸々の被造物は部分として在るのであるが,単にそれらは宇宙の完全性のために寄与する存在ではない.そうではなくて,それは「像」imagoの概念から見いだせるように,神と人間には本性的な違いがありつつも,神の本質の似姿をある意味で分有しているという点から個々の人間の存在意義を認めることができる.神的善の分有として個々人の尊厳を認めるトマスの個物のイデアの措定は同時に,隣人の尊厳をも認めることにもなり,他者受容の可能性を見出すことができる点においても,現代社会の問題を解決する一つの糸口があると思われる.


2. 質疑応答

[問]「人間の精神において神の像は見いだせることから非知性的被造物には神の像は見いだせない.」とあるが,おそらく非知性的被造物には生物が含まれると思われるが,犬はどうか.犬は知性的認識をしないと考えられているのか.

[答]犬は確かに被造物ではあるが,知性的認識をするとは考えられてはいない.

[問]「トマスはプラトンの意味するイデアを諸々の事物の認識の根源であり,その生成の根源と受け取っており,トマスが神の精神に措定されるとするイデアにもこのこの両者の機能を認めている.」とあるが,両者に上下関係はあるのか.

[答]上下関係は想定されていないと考える.

[問]諸々のイデアが語られているが,要はイデアとは何なのか.

[答]創造論との関わりにおいてここではイデア論が語られていて,神の内に在って理念的に存在するものであり,それは事物に先だって予めに在るようなものである.

[問]「個物は神の存在の分有であり,それぞれの仕方で存在の度合いにおいて存在し,それぞれの働きを展開していく.」の箇所の註で,モーセが出てくるのはなぜか..

[答]モーセという個人名をして呼びかけるという記述が見受けられ,それが神が個物を知っていると読み取れる点で,この発表の趣旨の例として適切と思われたから.

[問]l.126「この人間」とはどういう意味か.

[答]一人ひとりの個々人の在り方.この人間,あの人間の在り方であり,人間一般のことではない.

[問]「知的認識」と「愛する」ということが並べられているのはなぜか.

[答]「愛する」ということは,「知性的認識」に伴って起こるものであり,神の本質を見ることが神への愛だからである.

[問]本文中において使われている「しるし」,「起源の類似性」とはどのような意味か.

[答]類似性のサイン,要素.何から生じたか,などそのものの起源.

[問]l.52〜53の意味するところは何か.

[答]神の善性が一つの個体においてはあらわれないので,種全体において善性の補充がなされるということ.

[問]l.93における「神の像」というものは在るのか.

[答]物体的なものではなく,知性的,理性的であるところに見いだせる.

[問]意志によって神に近付いたり,神から離れたりすることはできるのか.

[答]自由意志によって可能であるが,自然本性的には神を求めるように造られている.

[問]自己実現の向こう側にあるものはなにか.

[答]最終的には神の本質をみることであるが,自然本性だけでは不可能なので(恩寵が必要)絶えず神へと向かい続けること.



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