広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2005年度 第7回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2005年6月9日(木7・8時限,B102)
発表者:高橋淳友(西洋哲学,D3)
発表題目:「叡智的世界」と人間の完成-イスラム哲学における「グノーシス学」とエックハルトの「グノーシス学」-
配付資料:B4(片面)3枚,B5(片面)1枚
プロトコル:米森慈子(哲学,M1)


1.発表要旨

 エックハルトの思想には,「離脱」がそうであるように,世界創造以前の神の内にあった在り方つまり被造的な在り方を越えた純粋な在り方を志向する点が認められる.
 彼はまた,このような意味での「純粋性」の回復を,アヴィケンナからの引用である,魂の完成としての「叡智的世界」という在り方に関連づけて語る場合がある.だが,確かにエックハルトも,「叡智的世界となる」という点,つまり,「純粋なもの」,「混じりけのないもの」としての知性とのかかわりという点で,魂の完成が達成されると考えていたとしても,エックハルトとアヴィケンナ両者が意図している「完成」が,いかなる点で違いがあるかを考える必要があるだろう.今回の発表で発表者が意図していたのは,エックハルトがいうところの「魂が叡智的世界となること」と,アヴィケンナ等のイスラム哲学的な意味でのそれとの違いを,魂の完成,つまり人間の完成という点で求められる理想像の違いという点から吟味することである.また,前年度の本ゼミでは,エックハルトの「グノーシス」について発表したが,今回はそれを踏まえた上でさらに,アンリ・コルバン(邦訳:『イスラーム哲学史』黒田壽郎,柏木英彦訳,岩波書店)の述べる「預言者哲学」−アヴィケンナ等の「ギリシア的哲学者」の「グノーシス学」を価値あるものたらしめている(同邦訳書29頁)-についての見解を援用して論を進めた.そして,イスラムの哲学者における「グノーシス学」,「預言者哲学」では,人間の完成した理想的在り方,つまりアヴィケンナが言う「叡智的世界となること云々」が「預言者」の在り方であるのに対して,エックハルトの「グノーシス」的な在り方(=「魂が叡知的世界になること」)が,キリストがそうであったような「神の子」となることを志向するものであることを示した.

2.質疑応答

[問]エックハルトの『創世記注解』からの引用にある「すべてのものをその知性が区分する」というアナクサゴラスのことばはどういうことか.

[答]アナクサゴラスの宇宙観は一種の混沌状態からヌースによって回転運動が与えられ分離した後,秩序ある状態へ移行するというものである.

[問]エックハルトは<預言者>の哲学ではなく,「キリストとの同形性」を通した「神との同形性」を志向するいわば<神の子>の「哲学」へ向かうとある.そうであるならエックハルトのイスラム哲学受容における重要点は人間の完成形態を「預言者」とみるか,「神の子」とみるかであると思われるがどうか.

[答]エックハルトはイスラム哲学の影響を受けていることは確かであるが,エックハルトの場合,志向されるのは天使との結合ではなく,神との結合であり,また人間としての完成も預言者ではなく,志向されるのは「神の子」となる.

[問]混じり気のない知性とはインドにおいては感覚,身体の限定を受けないということで瞑想の形態が考えられる.そして知性である以上「対象」というものが想定されると思われるが,インドにおいては「清浄の知」「光輝く知」などと言われ知を汚すということから対象すら考えられないが,エックハルトにおいては対象をたてることは知を汚すものであるという考え方はないか.

[答]必ずしもそう考えるわけではない.例えば神の知は自己知であり,知の対象は神自身である.

[補足]ただし,新プラトン主義的な見地に立てば知的対象を立てる知の在り方は-例えそれが自己知であれ-より存在レベルの低い在り方といえる.例えば“一者”と“知性”の関係に見られるようにである.

[問]論じていることはエックハルトの思想にイスラム由来の知性論が取り入れられたということなのか,あるいはキリスト教的な起原のものだということなのか.

[答]エックハルトはキリスト教的思考をベースにしてイスラム思想を取り入れた.特にエッセを問題としたトマスのキリスト論をベースにしていると思われる.その両者をうめるものとしてイスラム思想のadeptusの考えを導入していると思われる.

[コメント]エックハルトの「グノーシス主義的」思想の考え方はハンス・ヨナスのいう「グノーシス的な発展の後の段階」(これは「自己はまだ身体のうちにありながら,内在的−例え仮の状態だとしても−状態としての絶対者に到達できる」という在り方とされる)を援用することで説明することもできるのではないか.

[コメント]separatus,immixtus,impermixtusなどの考えがあげられているが,トマスが問題としているのはイスラム思想では知性を実体的に離れているとみなしている点である.トマスの立場からすると知性を身体と一体化しているものと捉えることと,知性を概念として独立して捉えることができるのでこの点についての考慮も必要ではないか.

[その他]エックハルトの創造論について,ハンス・ヨナスに関して,及びエックハルトの離脱についての考えは三位一体論に抵触しないのか,さらに「グノーシス学」という言い方の理由という問いへの回答が求められた.



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