広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
(仮設Webページ)


哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2009年度(前期) 第7回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2009年05月29(金9・10時限,B153)
発表者:池田信義(哲学,M2)
発表題目:トマス・アクィナスにおけるエンスとエッセンチア  《存在しているも の》の規定と《本質》
配付資料:A3原稿6枚(片面)
プロトコル:信岡愛美(西洋哲学,B3)

1. 発表要旨

この発表は、トマス・アクィナス(1225年〜1274年?)の初期の作品であるがトマス 形而上学の根底をなすとしてものとして爾来注目されている『存在しているものと本 質について』を取り上げている。その第一章、第二章において書かれている内容で、 人間知性によって最初に捉えられるものである、「存在しているもの」(エンス)と 「本質」(エッセンティア)に関してテキストに沿って詳細に検討する。トマスは存 在(エッセ)については第一章の最後に唐突に述べているがその後存在(エッ セ)についての説明はされていないのである。従って、この発表の目的はトマスの本 質(エッセンティア)と存在しているもの(エンス)の方からトマスの存在(エッ セ)を検討することである。

[以下,要約]
 発表者は,トマスの De ente et essentiaの第1, 2章(章分けとテクストは, C.Boyer, S.J., S.Thomae Aquinatis Opusculum De ente et essentia, Romae, 1970.による )に基づいて,「存在しているもの」ensと「本質」essentiaの意味と, それらと「存在」esseの相互の関係をテクストに即して明らかにすることを課題と している.

1.存在しているもの ens
 トマスは,アリストテレスに従って,「存在しているもの」ensそれ自体を, 諸命題の真理を言い表すエンスと十の類(カテゴリー)に分けられるエンス(実在有) に分けている.後者(実在有)は,さらに,自存する実体と,実体に付帯する九つの 偶有(属性)からなる実在する事物(レス)に分たれる.

2.本質 essentia
(1)トマスによれば,事物(レス)としてのエンスは,本質(エッセンチア)と存在 (エッセ)からなる.ただし,神においてのみ,存在(エッセ)と本質(エッセンチア) は同一である.
(2)本質(エッセンチア)という名称は,実在するエンス(実在有)からとられたものである.
(3)この実在するエンス(実在有)は,十の類(カテゴリー)に分類されるのであるから, 本質は,すべての本性に共通ななにものかを言い表している.
(4)トマスは,本質を説明するために,本質を含む五つの類義語を挙げる.すなわち, [1] クィディタース(quidditas),[2] クォッド・クィド・エラト・エッセ(quod quid erat esse), [3] フォルマ(forma),[4] ナトゥラ(natura),[5] エッセンチア(essentia)である.また, すべての実体は,ナトゥラである(omnis substantia est natura)と言われる.
(5) [1] クィディタース(quidditas)は,「何性」を意味する.
(6) [2] クォッド・クィド・エラト・エッセ(quod quid erat esse)は,アリストテレスに従って, 「そもそも何であったか」を意味する.
(7) [3] フォルマ(forma)は,「形相」であるが,事物(レス)の何であるかを確定する限りにおいて, 本質である.
(8) [4] ナトゥラ(natura)は,「本性」であるが,知性によって把握されうるものを意味する 限りにおいて,本質である.
(9) [5] エッセンチア(essentia)と言われるのは,それ(エッセンチア)によって, それ(エッセンチア)において,存在しているもの(エンス)が存在(エッセ)をもつ限りにおいてである.

3.実体 substantia
 存在しているもの(エンス)は,第一義的には実体について言われ,偶有について言われるのは 第二義的で限定的である.前者の実体には,単純な実体と複合された実体がある.
(1) 単純な実体
少なくとも,第一の単純な実体(神であるところの)が,複合されたものの原因である.
(2) 複合された実体
複合された実体においては,質料と形相という変化するものに特有な構造が見て取れる.例えば, 人間については,魂と身体が見いだされるように.この場合,本質(エッセンチア)は,質料と形相の 両方を含んでいる.質料は認識の根源ではなく,本質を言い表す定義は,質料と形相の両方を含んでいるからである.

結語
人間の本質は,「人間」という名称によっても,「人間性」という名称によっても表示されるが, それぞれ異なる観点から,そう言われる.それぞれの本質の二つの意味の解明を次の課題とする.

[以上,要約の文責:赤井清晃]

2. 質疑応答

[問]エンスとエッセンチアは同時にとらえられるのか.

[答]まずエンスからとらえられる.

[コメント]複数形の使用の故に,「双方同時に」とも読み取れるが,我々の認識を考えた場合,順 序が認められうる.

[問]エッセンチアによって,エッセンチアにおいて,エンスがエッセを持つとはどう いうことか.

[答] エッセンチアはエッセンチアによってエッセンチアの中にエッセを持っているという, この部分を訳出したものである.エッセンチアがエッセによって現実化されるという事態 がエンスのうちに見出される.

[問]本質に関して,机の本質,椅子の本質という言い方が可能ならば,ここで言われる本 質は別のものであるのか.

[答]机の本質,椅子の本質は,机,椅子というという観点から見れば異なる.

[コメント]同じであるか否か,を断定することは難しいが,観点によっては同じである場合も,また異 なる場合もありうる.

[問]概念有ということに関して,それはコプラのこととして書かれたものか,それと も借金や盲目としての概念ということで書かれたのか.また借金を「ある」という形 で考えた場合もやはり欠如という概念で考えるのか.

[答]ここでは概念として書いた.借金を「ある」ととらえた場合も欠如として考え る.

[問]神が存在の第一原因という認識は当時常識であったのか.また,これは神の存在故に存 在があるという意味か.

[答]常識であった.神の存在故に存在があるという理解でよい.

[問]この世界の中に存在しているすべてのものとあるが,すべてのものとは何を指すの か.概念有を含むのか.

[答]この場合,すべてのものとは,物以外も含んですべてという意味だが,概念有は含まれない.

[問]第一の根源に帰属させるべき他の同様の事柄とは,具体的はどのようなもので,またそれは 神的事柄とどう異なるのか。

[答]神が原因であるような,例えば神の単純性などの属性であり、神的事柄は三位一体論など 超感覚的なものである.

[問]概念有と実在有に関する訳出について,「その事物」の「その」は何を指し,原典 ではどの部分に当たるか.

[答]これは個物,その事物という意味での「その」である.quia以下の部分を指す.

[コメント]事物の中にという訳は不適切であるので,「事物の世界に」,さらに言えば「実在的に」 と改めるべきである。

[問]単純な実体が語られる際に,その場合の,単純なものとは何であるか,そして,それと共に用いられている「少なくとも」という限定句は,この場合,どういう意味で書かれたのか.

[答]単純なものとは神のことであり,「少なくとも」は「最終的に」の意で使用して いる.

[コメント]「最終的に」というのはネオプラトニズム的で,トマスの場合は「少なくとも」を 「最終的に」と解すべきではない.

[問]「人間性という名」,「人間という名」に関して,ここで言われている「名」とは何か.

[答]テキスト上で,nomen(nomine)と言われているので,名称のことである.

[コメント]何性quidditas(何であるか,ということ)に関しては,インドにも同様の発想があり、どちらも疑問詞から派生したという点で興味深い.




戻る→ 哲学・インド哲学「論文ゼミ」