広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2010年度(前期) 第07回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2010年06月04日(金9・10時限,B201)
発表者:阿南貴之(哲学,M1)
発表題目:シャーウッドのウィリアムの代示の定義について
配付資料:A4原稿2枚(両面,3頁)
プロトコル:高橋祥吾(哲学,D3)

1. 発表要旨

ペトルス・ヒスパヌスに影響を与えたとされるシャーウッドのウィリアムの代示の理論を,ヒスパヌスのそれと比較することが発表の目的である.両者の代示の説明は以下のようになっている.

ヒスパヌスの代示の説明:
1. 名詞の場合は代示であり,形容詞,動詞の場合は結合すると言われる.
2. 代示作用とは何か或るものの代わりに実体的項辞をとることである.

シャーウッドのウィリアムの代示の説明:
1. 代示は,他の概念の下に或る概念を配置することである.
2. 習得態に即して代示は,基体であるような或るものを表示する作用である.

1. で述べられているのは,現実態に即して,種概念をその類概念の下に置くということであると解釈されうる.他方で,ヒスパヌスは,現実態と習得態という区別を設けていない.ヒスパヌスは,命題中においてある項辞がもつ代示と,そうでない代示を区別している.このとき,ヒスパヌスの代示は,シャーウッドのウィリアムの習得態に即した代示の定義と一致すると思われる.


2. 質疑応答

質疑に関して
質疑は,
1. 習得態とは何か.
2. 代示とはなにか その具体例はなにか.
3. 解釈の正当性.
以上の点についての質疑となった.主な質問は以下の通り.


[問]習得態とはなにか.

[答]ここでは,項辞が命題の中にあるかどうかに関わらず,基本となるようなあるものを表示する.

[関連の問] 「基体となるようなあるもの」とはなにか.
[答] 「太郎」のようなもの.

会場からの補足あり:「習得態」はアリストテレスに由来する概念.現実態,可能態という用語と関連する.日本語の定訳は無い.例えば,或る人がピアノを弾く可能性があるという場合,その人は,ピアノを弾くことに関して可能態においてあると言われる.それに対して,現に弾いている場合,その人は現実態においてあるということになる.習得態は,現実には弾いていないが,ピアノを弾く技能を持っていて,弾くことができる状態にあるという場合に,用いられる言葉.広義には,可能態に含まれうる(筆者による要約).

[問]代示の場合の「現実態」と「習得態」の区別の,具体例はどのようなものか.

[答]現実態の場合: 「人は動物である」という命題の中の「人」.
   習得態の場合: 「人」は命題中にあっても,なくてもよい.

[問]代示とはなにか.

[答]「人は2音節である」,「人は種である」のようなもの.

[問] 「実体を指示する」というとき,「人は2音節」のときの「人」が音声を表示している場合でも,実体を指すと言えるのか.

[答] 言える.

[意見]表示の理論の違いが,代示の理論に影響するのではないか?

[意見]発表者は.ヒスパヌスの代示が,ウィリアムの習得態の代示と一致すると解釈しているが,むしろ現実態の代示と一致するのではないのか?

以上です. 文責 高橋祥吾



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