広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第8回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年6月17日(木7・8時限,B102)
発表者:根本裕史(インド哲学,D1)
発表題目:ツォンカパによる三時の解釈
配付資料:本稿A3原稿2枚,別稿資料A3原稿2枚
プロトコル:松岡寛子(インド哲学,M2)

1.発表要旨

 インド仏教において〈未来〉〈現在〉〈過去〉の三時をめぐる議論と言えば,毘婆 沙師の三世実有説や,中観派のナーガールジュナによる「三時不成」の論理などが 有名である.一方,〈未来〉〈現在〉〈過去〉がそれぞれ如何なるものとして規定さ れるのか,また,それぞれ何が〈未来〉〈現在〉〈過去〉と規定され得るのかという 問題に関しては,『中辺分別論』,『阿毘達磨集論』,『四百論註』等の論書におい て断片的に論じられているに過ぎず,学界でも全く注目されてこなかった.
 しかし,チベット仏教においては,ゲルク派の祖であるツォンカパ・ロサンタクパ がこれらの論書に見られる記述に着目して以来,三時の規定に関する問題は,論理学 (tshad ma)やドゥラ(bsdus grwa)の教科書の中にしばしば取り上げられるトピックとなり,現在に至るまでチベットの学僧達によって学ばれ続けている.
 ツォンカパにとって三時の規定とは,毘婆沙師の三世実有説,経量部などの刹那滅 論における滅無因の主張とそれに対する中観帰謬派による滅有因の主張,さらには, 中観帰謬派における業果設定などの諸問題を,一つの問題として取り扱うことを可能 にする効果を持つものであったと考えられる.すなわち,彼は毘婆沙師の四大論師の 説を踏まえた上で,毘婆沙師を除いた仏教徒の諸学派によって共有される三時の規定 を,上の三つの論書に基づいて分析している.その際に,彼は〈過去〉を〈滅したも の〉(zhig pa)と定義することにより,三時をめぐる問題と〈滅したもの〉が無因 であるか有因であるかという問題の両者を巧みに橋渡しした.そして,最終的に彼は,彼自身が最も勝れた学説と位置づける中観帰謬派の学説において,〈過去〉ないしは〈滅したもの〉が事物(dngos po)であると認められることを論証し,同学説の下で業果の関係が十分に確立され得ることを明らかにした.
 これらの諸問題を共通の術語体系を用いて論じるための根拠を与えるものが,ツォ ンカパによる三時の解釈に他ならない.それを正確に理解することは彼の顕教解釈の 一端を解明する上で大きな前進となるだけでなく,インド仏教における時間論のこれ まで注目されていなかった側面に新たな光を投げ掛ける手掛かりとなるであろう.そ こで本発表ではツォンカパによる三時の解釈に焦点を当てて,1. 三時とはそれぞれ 何か,2. 三時はどのように設定されるのか,という二点を中心に考察した.これら について考察した結果,明らかとなったのは以下の二点である.
1. ツォンカパは『四百論註』と『阿毘達磨集論』と『中辺分別論』に依拠して,三 時を物の生滅する過程に還元して分析している.
2. 三時とは観察者の視点から切り離して設定されるべきものであること,また,三 時は単に前後関係のみに基づいて設定されるべきものではないことが上記の分 析の結果,導き出される.

2.質疑応答

[問] 〈現在〉・〈過去〉・〈未来〉に相当するチベット語からの直訳語は?
[答] それぞれ,〈過去〉・「既に過ぎ去ったもの」('das pa)・「未だ来ていない もの」(ma 'ongs pa)と直訳できる.

[問] 種は原因であり,芽は結果であるから,たとえば,「芽の過去は種である」, 「今年の過去は去年である」,「東京の過去は江戸である」と言えるのではないか?
[答] 日常的には〈過去〉という語をそのように用いることもあるが,今の文脈にお いて〈過去〉はそのようには規定されていない.『中辺分別論』に,「原因(種)と 結果(芽)の両方が享受されたもの」が〈過去〉であると定義されている通りである.

[問] 存在するものは,常に〈現在〉か.
[答] 存在するものは必ずしも〈現在〉とは限らない.壺や柱などといった〈事物〉 は,常に〈現在〉である.そして,〈現在〉なしには,〈過去〉や〈未来〉もない.

[問] 三時が存在者に内在するのか? それとも存在者に三時が内在するのか?
[答] 仏教徒にとって時間は,存在者とは切り離せないものである.すなわち,時間 は物の変化に依拠して仮立されたものである.よって,両者を別個に存在するものと 前提した上で議論することは出来ない.

[問] 広く時間論について.アウグスティヌスも〈過去〉・〈未来〉を〈現在〉を中 心として,〈過去〉を「もはやない」,〈現在〉に対する記憶,〈未来〉を「まだな い」,〈現在〉に対する期待と規定する.この点でツォンカパによる三時の解釈と似 ているが,展開は違うようである.大過去,過去,過去完了など,更なる時間の細分 化はないのか? また,〈過去〉が再び存在するといった事態は考慮されるのか?
[答] また,〈過去〉について,経量部・唯識派・中観自立派は非事物と見なし,中 観帰謬派は事物と見なす.従って,中観帰謬派の学説においては,〈過去の過去〉等 に関する議論も可能となる.また,一旦〈過去〉となった物が再び存在することはな い.

[問] 「観察者」という言葉は発表者の造語か?
[答] ツォンカパ自身の言葉では「言説をなしている人」や「話者」と表現されてい るが,説明の便宜を図って「観察者」と言い換えることにした.これについては今後 検討し直す.

[問] 三時の解釈を行ったツォンカパの意図とは?
[答] これによってツォンカパは,三世実有説,刹那滅論における〈滅したもの〉の 問題,中観帰謬派における業果設定などの諸問題を別々の問題ではなく,一つの問題 として扱おうとした.



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