広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年6月23日(金9・10時限,B201)
発表者:片山由美(インド哲学,M2)
発表題目:『法華経』「方便品」における仏陀観の考察 −“tena@smi buddho jagato 'nubodha@t”の解釈から−
配付資料:A3用紙3枚(両面)
プロトコル:田村昌己(インド哲学,M1)

1.発表要旨

 『法華経』「方便品」第58偈d句における“tena@smi buddho jagato 'nubodha@t”という表現,とりわけ‘anubodha’という語は,『法華経』における仏陀観を考察する上で重要な意味を有する.先行研究で は,‘anubodha’という語における接頭辞anuを全く考慮しないで訳出しているが,接頭辞anuの意味を読み込んで‘anubodha@t’を 「[私に]従って覚ることを目的とするため」と訳出すべきである.このことは,初期経典おいて‘anubuddha’が「[師または諸仏に]従って覚る こと」の意味で用いられ,またその用法が大乗の仏伝『ラリタヴィスタラ』及び論書『プラサンナパダー』においても継承されることから支持される.  以上のことから次の三点を指摘できる.(1)『法華経』においては仏と同じ境地を衆生に体得させることが強調され,“tena@smi buddho jagato 'nubodha@t”は「わたし(ブッダ)に従って,わたしが獲得した同様の覚りを衆生にもたらすことを目的として」と解釈すべきである.(2)大乗 仏教では,ブッダが神格化され,三世十方諸仏を有する,多仏の大乗的ブッダ観が顕著になるが,『法華経』においては,仏伝を通して,蘇るブッダの覚りに 従ってという復古的なブッダ観の一面が示されている.(3)直弟子ではなく世間の人々一般に対して‘anubodha’という語を用いていることから, 利他の慈悲を強調したブッダであることが理解される.



2.質疑応答

[問]先行研究者が接頭辞anuの意味を考慮しなかった理由はあるのか.

[答]特に理由を挙げていない.

[問]声聞や独覚の理解しがたい事柄が,「初期経典においては,単数形であるブッダによって覚られた法(dharma)」であるのに対し,「『法華経』 においては,複数形である諸仏によって覚られた智慧(buddhajj@a@na)」であるのは,どのような意味があるのか.

[答]今回の発表では違いがあることを指摘したのみである.それにどのような意味を見出せるかは今後の検討課題である.

[問]「方便品」第55偈に「諸仏は劣った乗物(hi@naya@na)によって導くことはない」とあるが,一乗であるならば当然のことではないのか.

[答]『法華経』における一乗とは,三乗を止揚,統合したものであって,三乗の外に存在するものではないと考えられる.よって,三乗の過程で一乗を目指 さなければ「劣った乗物」となるが,一乗へ悟入する道のりだと理解すれば,三乗の存在も必要である.

[問]初期経典における(3)anubuddhaの「覚りそのもの」をさす用例,の説明箇所において,「buddhaとかわりない『覚りそのもの』の意 味で用いられている用例」であるにもかかわらず,「接頭辞anuは『従って』という主従関係ではなく,むしろ『続いて』との連続を意味し,更 に‘anubuddha’は『続いて[ここに新しく]覚った人』と解釈できる」と説明しているのは矛盾ではないのか.

[答]この三分類は,並川氏の研究に従ったが,今後過去仏思想を考慮して再検討してみる.

[問]初期経典における(3)anubuddhaの「覚りそのもの」をさす用例に関して,接頭辞anuを「『続いて』との連続を意味し,更 に‘anubuddha’は『続いて[ここに新しく]覚った人』と解釈」する場合,初期経典における(1) buddha@nubuddhaの用例及び (2)‘anubuddha’の‘buddha@nubuddha’における‘buddha’の省略,の二つの場合とどのような違いがあるのか.

[答]この三分類は,並川氏の研究に従ったが,今後過去仏思想を考慮して再検討してみる.

[問]“tena@smi buddho jagato 'nubodha@t”における‘tena’は何をさすのか.

[答]先行研究者は58偈abcの内容をさすと理解している.しかし,発表者は,文脈を考慮した場合,‘tena’は如来の出現目的である55偈から 57偈abcの結論として述べられていると考える.

[問]一乗ではなく一仏乗とする場合,「一仏」には「歴史的なあのブッダ」という意味は読み込めるのか.

[答]否.ただし,一仏乗を強調し三乗中の菩薩乗と明確に区別することは意味があることである.

[問]並川[1985]の指摘する「初期仏典において,……,歴史的ブッダを中心とした仏教へという統一の意識が‘anubuddha’にあらわれてい る」という理解に対して,『法華経』における‘anubuddha’という語は何を意図していると理解すべきなのか.

[答]大乗仏教に至って諸仏,諸菩薩が強調されてくるが,その中でも「歴史的ブッダ」が中心であることを示しているように思われるが,過去仏思想を考慮 しながら再検討してみる.

[コメント]接頭辞anuは『従って』という主従関係という意味があるとしているが,主従関係とは呼べないのではないか.

[コメント]初期経典における‘anubuddha’の用例(3)は,(1)と(2)の場合と区別する必要はないのではないか.

[コメント]初期経典における‘anubuddha’の用例(3)は,「歴史的ブッダに続いて覚った」という意味ではないということではないか.

[コメント]Burnouf[1925]の訳文を強調構文として理解すれば,Burnoufは発表者と同じ理解をしていたと言えるのではないか.



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