広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2012年度(前期) 第9回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2012年06月29日(金9・10時限,B201)
発表者:清水美里(西洋哲学,B3)
発表題目:情報とは何か,情報を生かすためにどう行動すべきか
配付資料:A4, 6頁
プロトコル:指山藍佳(西洋哲学,B4)

1.発表要旨

 この発表では,教育現場における遠隔学習の問題点を,直接的な教育と遠隔学習での情報の扱い方の比較から明らかにしようとしている.そのためにまず,情報について考察(注)し,その後あらゆる教育の場面の例を挙げて,遠隔学習には無い,学習者と教育者の直接的な教育による身体性の重要さを発表者は主張している.

(注)「情報」という語は,ドイツ語のNachrichtの訳語として生まれ,次いで英語のintelligenceの訳語として使われ,さらにはinformationの訳語として使われるようになり,のちにinformationの定義そのものを飲み込んで,現在の多種多様なあり方に至っている。

2.質疑応答

[問]学習意欲がある人は,教師からのプレッシャーとは関係なく自主的に勉強するのではないか.

[答]それならそれで教師に質問したい場合は対面であった方がよい.

[問]身体性が損なわれると熱意は伝わらないのか.

[答]ドレイファスの論文で,コンピューターに教師の代わりをさせて,「口の中でガムを噛みながら口笛を吹くことができるかどうか」が,コンピューターにはわからないが人にはわかる.そこから,教師とは身体性を持つ人間であるべき,と言っている.

[問]Froridiの文献が参考文献にあげられているが,影響を受けたのはどこか.

[答]今のところ最初のところしか読んでいないので影響を受けてはいないが,きっかけになったので載せた.

[問]すでに技術を身につけている者にとっては遠隔学習による再教育が向いているのでは.

[答]そう思う.新しい技術がどんどん増えるので有効だと思う.

[問]「情報」の定義から遠隔学習へ,という流れの文章だが,「情報」が一方的で自分で消化できないので,遠隔学習は学習と言えない,という意味か.

[答]習得の具合を確認するのに難がある,という意味.



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