広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度第9回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年06月23日(金9・10時限,B201)
発表者:米森慈子(哲学,M2)
発表題目: トマス・アクィナスのイデア論−イデアとしてあることについて−
配付資料:A4用紙(5面)
プロトコル:松本誠代(総合文化学,M2)

1.発表要旨

  トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1224/5-1274)はキリスト教哲学において,神の内に観念としてあるイデアについて論及する.イデアは神の精神において神が自己認識するものとしてあり,認識の根源として,及び範型としての機能をもつ.神の観念としてあるとは経験世界での存在の有無にかかわらず,神のうちに予め事物の原型として認識されていることを意味する.範型としての形相であるイデアは可知的な存在として神の精神のうちにあり,世界はこれに類似して造られる.人間は神の本質を知性認識することは不可能であるため,神の本質であるイデアを知性認識することはできない.しかしながらトマスはイデアの真理性を示唆する.そこで,イデアは神の概念としてうみだされ,神の御ことばとして世界と関係性をもつという創造原理の観点からイデアとして「ある」とはどういうことかを考察し,イデアとしてあることの真理性を確認する.



2.質疑応答

[問]「概念」と「観念」の使いわけはどのようなものか.

[答]観念は神の認識内容であり,概念は観念に実在性を持たせたものとして使い分けている.

[補足]人間の認識は事物に依拠するが,神の認識は事物に先立つ自己認識である.

[問]神の意志によって選ばれたイデアとはどのような意味か.

[答]この世界の多様性や完全性から考察できる.我々が行為の選択をするのと同様に,神の選びによるものが世界に存在する.

[補足]世界の多様性及び世界の完全性から考察できる.我々の意志による行動の選択を引き合いにだすこともできる.

[問]トマスは存在「ある」をどのように規定するのか.

[答]「ある」ことの充満していることと解釈している.

[問]ペルソナとはどういう意味か.

[答]三位一体におけるそれぞれの位格.

[補足]三位一体から説明するとしても本質は神である.また理性的存在という観点から人間もあげることができる.

[コメント]ratioの意味する内容を文脈によって正確に理解する必要がある.

[コメント]認識主体が神か人間かを正確に区別し,神の存在と本質を分けて考察する必要もある.




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