広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第10回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年7月1日(木7・8時限,B102)
発表者:稲葉泰士(哲学, D2)
発表題目:「『実践理性批判』と『単なる理性の限界内における宗教論』とにおける自由と悪の問題について」
配付資料:B4原稿2枚(表裏)
プロトコル:村下邦昭(哲学, D3)

1.発表要旨

 カントは『単なる理性の限界内における宗教論』において,「道徳は不可避的に宗教に至る」と言う.この言葉の意味は,既に『実践理性批判』で述べられていた「理性信仰」内に見ることができる.「理性信仰」そのものの概念や定義は『実践理性批判』と『宗教論』とでは,大きな変化は無いと思われる.しかしながら,「理性信仰」の中核である自由,および悪についてのカントの叙述は『実践理性批判』と『宗教論』では異なっている.そこで,『実践理性批判』と『宗教論』における自由と悪についてのカントの叙述を比較し,検討することが本稿の目的である.
 概括すれば『実践理性批判』における自由は意志の自律である.選択意志に関しては他律のみが言われる.また,「実践理性の批判における方法の逆説」によって,善と悪の概念は道徳法則に先立つのではなく,道徳法則の意識が善悪の概念を規定することが説明される.
 『宗教論』において自由について言われるのは選択意志のみであって,意志は純粋実践理性と同義に扱われる.また善は人間がその選択意志を規定する際に,道徳法則を最上の格率として採用することであり,悪は,あえて道徳法則から違反することを最上の格率として採用することに存する.人間本性の内に存する悪い格率を採用しようとする性癖,つまり悪への性癖は根本悪と呼ばれる.
 こうしたカントの自由論の変化は,カントの関心の変化では無く,視点の変更によって生じる.すなわち,素質や性癖といった人間本性を考え合わせたが故に、人間の自由は善のみではなく,悪も考えなくてはならないのである.こうしてカントはその道徳論に悪を持ち込んだと考えられる.

2.質疑応答

[問] 根本悪と道徳的悪の違いは?
[答] 道徳的悪の原因が根本悪(『宗教論』).根本悪は人間本性にある悪の原因.

[問] 悪い格率を採る理由は?
[答] 人間の選択意志は純粋実践理性のみで規定されるわけではないから.

[問] 道徳的な要請とは?
[答] 理論的要請(ex. 数学の公理)に対置される.不死などの理性信仰の対象は理論的に要請されず,判断停止が生じ,そこに道徳的な要請が生じてくる.

[問] 魂の不死とは? 個人の魂か?
[答] 徳の完成や善を目指すが,それは肉体の消滅に限られない.肉体がなくとも,魂があれば,それを成しうる.そして,それは個人の魂でも起こりうる.

[問] 純粋実践理性が道徳法則を求める理由.それはアプリオリではないのか?
[答] それは人間の本性である.また,アプリオリであるのは,理性に導かれて,経験を排除したため.

[問] 超越論的自由と道徳的自由(実践的自由)の違いは?
[答] 超越論的自由は,意志の絶対的自発性であり,理性によって自然から離れて意志を規定しうる.道徳的自由は前者を踏まえた行為における自由である.

[問] 決定論に対しては?
[答] 意志の自由は物の触発によって妨げられないし,肉体にも妨げられない.物に基づくような決定論とは異なる.

[問] 社会や時代に基づかないところにカントの道徳を見るのか?
[答] 定言命法を遵守するのが善であり,そうではないことが悪である.経験との関係でも考えられるが,個々の経験が善とか悪とかにはならない.

[問] 格率とは?
[答] 簡単に言えば,行動方針.

[問] 信憑の格率とは?
[答] 信憑には,憶見・知・信の三つがあり,この場合,信じることであり,何を信じるかを規定する格率.

[問] 7ページの「第一の意味」でとは?
[答] 時間に左右されない,ということ.悪の性癖は生得的である.聖書における原罪.

[問] 使用した著作の公刊順は?
[答] 『実践理性批判』1788年,『宗教論』第1部が1793年,『宗教論』第2部が1794年,『道徳形而上学』が1797年.

[問] 同時代の思想との関係は?
[答] 調べていない.

[問] 4ページの自律と他律の意味は?
[答] 自律はWille(『実践理性批判』).『宗教論』では,Willkuerも加わり,これが根底に置かれる.

[問] アプリオリな道徳法則と定言命法との違いは?
[答] 言い換えることができる,という意味では同じ.

[問] 道徳法則に一致することが善,不一致が悪というならば,アプリオリな道徳法則は善でも悪でもあるのか?
[答] 行為者において善でも,他者においては悪になりうる.善悪は格率を採用しているかどうかということであり,意志の自由に規定されることによって善である.

[問] 純粋実践理性の対象の概念における外的と内的とは?
[答] 外は物であり,内は意志の領域.

[問] 『実践理性批判』と『宗教論』の記述の違いについて,それは「方法の逆説」を解決しようとしたことによるのか?
[答] 「逆説」は道徳法則についてのみ言われている.また,「逆説」については,二つの著作において一貫している.

[問] 発表者が悪の概念を持ちこんだ理由.
[答] 『実践理性批判』において,悪の話は積極的な話題ではない.『宗教論』は悪から道徳を考えている.

[問] 1ページに「人間が常に幸福を求める」とあるが,この幸福とは?
[答] あらゆる傾向性の満足(『実践理性批判』).傾向性とは,自然的衝動.

[問] 幸福と徳の一致とは?
[答] 人間の本性として,幸福を求めることは必然である.したがって,徳の完全性を求めることの結果が幸福と結びつくことは必然的である.

[問] 個人において意志が変わると,道徳法則も変わるのか?
[答] 個人の意志が変わっても,道徳法則は普遍的・共通的であるので変わることはない.

[問] 意志とは何か.主体が意志か?
[答] 自律するものが意志.『実践理性批判』においては,感性的衝動に左右されるのがWillkuerで,そうではないものが,Willeである.それ故,Willeが道徳法則を規定する.

[問] 欲求能力・意志・Willkuerの違い.
[答] WilleとWillkuerも欲求能力に含まれるが,第二批判では,道徳的なものがWllieであり,『宗教論』ではWillkuer.

[問] WilleとWillkuerの訳語は?
[答] Willkuerは悪をも選択しうる,という意味で,「選択意志」.

[問] 「自由を演繹する」と述べる時,この「演繹する」の意味は?
[答] 普遍的・必然的な客観的妥当性(経験)の証明.純粋実践理性を演繹することは,質料化することになるので,それはしてはならない.



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