Comparative Studies of Logic Project

広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度 第10回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年6月30日(金9・10時限,B201)
発表者:中山伸之(西洋哲学,B4)
発表題目:カントの道徳性の原理についての考察
配付資料:A3原稿2枚+A4原稿1枚
プロトコル:高橋祥吾(哲学,D3)


1.発表要旨

カントの『道徳形而上学の基礎付け』に基づき,カントの考える道徳性が何に基づき,なぜ道徳性に従うべきなのか,そして「〜すべし」という強制力が何に由来するのか,という点を考察する.
行為が道徳的価値をもつか否かは善い意志(guter Wille) をもっているかどうかに懸っている.そのためカントは,(主観の制限がつくが)善い意志の概念を含む義務(Pflicht) を考察することで善い意志を明らかにする.道徳的価値をもつためには単に義務に適した行為ではなく、義務に基づいていることが必要であり、義務に基づくということは,1) 義務に適した行為であり,2) 対象に直接的な傾向性をもっていて,3) 行為に 尊敬が伴うということである.道徳的価値を持つためには,行為の結果に関係なく,意欲する原理が重要である.さらに意欲する原理を、義務に基づいて行為せよ、という命令の法則だと考えると,
義務とは法則(義務に基づいて行為せよという命令の法則)に対する尊敬に基づいた必然性の行為である(PhB 19)
といえる.
理性的存在者は,意志によって,自然的因果法則の表象に従うが,しかし意志は傾向性にも従うので,必ずしも客観的法則に従うわけではない.それゆえ,意志を客観的法則に従わせる強制力が生じてくる.この強制力の根拠は,客観的法則の側にあり,意志が法則と適合するように命じてくるものは,定言命法である.定言命法の内容は,
汝の格率が普遍的法則となることを,汝の格率を通して同時に意欲できるような格率に従ってのみ行為せよ(PhB 45)
というものである. そして,定言命法の可能性の根拠が考えられなければならないが,そのためには,綜合判断である定言命法がアプリオリに示されねばならない.ここでカントは,もし,それ自体が絶対的な価値をもち目的自体であるものがあるとすればそのもののうちに,定言命法の可能性の根拠を見出せるのではないか,と述べる.そして,カントは,その絶対的な価値を持つ目的自体を,人間自身であると考える.
ここで,最上の実践的法則の根拠が,一方で客観的に普遍的な法則である定言命法のうちに,一方で主観的にはそれぞれの理性的存在者の主体である目的のうちにあり,ここから,「各々の理性的存在者の意志が普遍的に立法する意志である」という自律的原理が最高の法則として導きだされる.そして,自由(超越論的自由)という概念が,自律による最高の法則を可能とするのである.したがって,道徳性に従う根拠は、理性的存在者が自由に基づく自律的な意志の原理によって、己に客観的に最高の立法を与えていることであり,それにもかかわらず,傾向性等によって客観的法則と適合しないとき,それに対する強制が生じるのである.
(なお,PhBのページ数は,Immanuel Kant, Grundlegung zur Metaphysik der Sitten, FELIX MEINER VERLAG HAMBURG,1999のページ数に従っている)

2.質疑応答

[問] 義務の定義をもっと分かりやすく言うとどうなるか.

[答] 意欲することの原理そのものを誉めたたえる傾向と言うものがあって,道徳的価値が生じるためには,結果とは関係なく,意欲したことが尊重されるときに,義務が生じる.

[問] では,義務は「必然性の行為」と言われているけれども,これはどういうことか. 

[答] 必然的に行為しなければならない,ということ.

[問] 道徳的行為は,非理性的存在と違い,意志に基づくことが必要なのか.

[答] 非理性的存在はただ単に自然的因果法則に従っているだけで,人間(理性的存在者)だけが,意志を持って法則に従うことができる.

[問] 「定言命法の可能性」というか,それは「定言命法の存在可能性」のことを意味しているのか,それとも「定言命法を実行できる可能性」なのか.

[答] 「存在の可能性」のこと

[問] アプリオリな綜合命題の解決が困難なのはなぜなのか

[答] 綜合判断というのは,主語と述語を組み合わせる判断であるが,この主語と述語を媒介するものを見い出す場合に,経験に依存しない媒介を見い出すことが困難である

[問] 普遍的法則と言っているが,その「普遍的」とはどういう意味なのか,あるいはどれくらいのレベルで普遍的なのか.

[答] 人間社会,常識の範囲内での普遍性のことだと考えている

[問] では,その場合,「人間と一般にあらゆる理性的存在者...」と訳し引用しているけれども,「一般にあらゆる理性的存在者」とは,どのような存在者を考えているのか.神的な存在を考えているのか.

[答] 神的な存在もありえると思う.

[上記二つの質議に関連して] 神的な存在を認めるならば,法則の普遍性はもっと高レベルの,社会的常識を超えた普遍性を持っているのではないかと思われる.
また,「人間と一般にあらゆる理性的存在者...」という訳で,"der Mensch und überhaupt jedes vernünftige Wesen"の "und" を,「そして」ではなく,「すなわち」と訳す可能性がある."der Mensch und überhaupt jedes vernünftige Wesen"を主語とする 動詞が"existiert"で単数の変化なので,"und" は「すなわち」と解釈するように思われるけれども,この点に関しては,カント哲学の先行解釈を参照する必要がある.

[問] 例えば,わが子を可愛いと愛情をもって抱きしめる場合と,よその子を可愛いと思って抱きしめる場合,それぞれ定言命法と仮言命法のどちらに当てはまるのか.

[答] おそらく二つの例はどちらにも当てはまらないと思う

[問] 尊敬というのは,自分自身が自分が意欲する原理を尊敬するということなのか

[答] そうである

[問(意見)] "Notwendigkeit der Handlung" を「必然性の行為」と訳しているが,ふつう「行為の必然性」なのでは?

[問(意見)] 意志と傾向性を,対立するものであるかのように表現しているが,そうではないだろう.傾向性というのも,善への傾きであるだろう.その上で,意志というものがある.目的が意志を規定するということがどういうことなのか,この点をより吟味する必要があると思う.

以上.



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