広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2010年度(前期) 第10回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2010年07月02日(金9・10時限,B201)
発表者:信岡愛美(西洋哲学,B4)
発表題目:プラトンの『メノン』における想起説の考察 ―図形の想起―
配付資料:A4原稿12枚(片面, 12頁)
プロトコル:阿南貴之(哲学, M1)

1. 発表要旨

発表者は前期著作から中期著作に移行する時期に記述されたとされるメノンにおける想起説と, 中期著作における想起説を比較した. 発表者は一つに, 少年がソクラテスとの対話によりある図形の倍の大きさをもつ図形を形作る線を導き出す過程において, ソクラテスが教え導いている側面が見出され, また少年が, まず誤答することは, 最終的な少年の答が, 思惑ではなくて知識であることを明確にするために必要であり, またこのことによって, 想起とは正しいきっかけによって知識を思い出すことである, ということをより明確にするための描写であるとを指摘した. 次に筆者は, 思い出される対象が幾何学的知識であることを, プラトンが幾何学を学ぶことを哲学の基礎としたことから, 少年が哲学の道を歩み始めたことを象徴していると指摘した. 加えて, 筆者はある図形の倍の面積をもつ図形を構成する一辺の長さがメノンにおいて想起の対象とされているが, 中期著作において想起の対象とされるイデアとは想起の対象としての性格が異なることを指摘した. 後者における想起の対象は, 学習によって知りうるような知識のみではなくて, 単純には知りえない本質であるところのイデアについての魂の記憶を思い出すことであり, これは前者における対象であるものとは異なる. というのは同じ仕方で想起されるのならば, 立方体倍積問題は解決されうる問題であったからである. しかし, 実際には当時この問題は解決されていないし, 現在解決することが不可能だと証明されている. このことから, メノンにおける想起と, 中期著作における想起はその意味が全く同じというわけではなくて, 魂が予め知っていることをなんらかのきっかけにおいて思い出すという点でのみ一致すると結論した.

2. 質疑応答

[問]想起説では, 新しく得る知識をどのように措定するのか.

[答] 措定しない. 予め知っているが自覚していないことを, 正しいきっかけによって思い出すことが想起であるから.

[問] 作図問題は, 現代では定規とコンパスによっては不可能であることがわかっているが. この作図できない, ということも想起する対象であるのか.

[答] ある問の答がだせないということも想起の対象になりうる. また, 作図問題に関しては想定することはできるので, 答がだせないという形ではない形で想起の対象となる.

[問] 幾何学と徳を探究すること等はどうのように関連しているのか.幾何学は徳を探究することの方法であるような仕方で関係しているのか.

[答] 徳は理性の対象であり, 幾何学の問題は悟性の対象である. また, 理性は悟性に対してより上位であり, 悟性は理性の働きに寄与する. これらのことから, 幾何学によって悟性を訓練することは, 理性によって徳を探究することの方法となる.

[問] 推理や推測は排除されているのか.

[答] おもいなしや思惑と言われているものがそれらである.

[問] 当時三次元を対象とする幾何学はあったのか.

[答] 立方体倍積問題では, ヒポクラテスが比を用いて解こうとしたことがわかっている. このことから, 三次元を対象とする幾何学はあったと思われる.

[問] ある立法体の倍の面積をもつ立方体は想定できないと思われる.

[答] 想定できる.

[問] 魂や精神が物質的よりどころを必要とすると仮定すると, イデア界では少年の魂のよりどころはなんであったのか. また, 魂は個別的であるのか.

[答] イデア界において魂はよりどころを必要としない. また, 善行によって転生までの期間が変わることが述べられていることから, 魂の個別性は想定されていると思われる.

[問] 徳は想起されるのか, またそうでないならばこのことを理由にイデア界にも徳の本質がないと言えるのか.

[答] 徳が想起されるのかについてはっきりと記された箇所は見出せない. また, 想起できないとしてもそのことを理由にイデア界においてその本質がないとは言えない. といのは想起できないのは正しいきっかけが与えられていないからだとするからである.



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