広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度第11回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年7月07日(金9・10時限,B201)
発表者:住田賢(西洋哲学,B3)
発表題目: 「『キホーテについての思索』と『哲学とは何か?』の対応性について」
配付資料:A3用紙3枚(片面)
プロトコル:高橋淳友(哲学)

1.発表要旨

 本発表は『哲学とは何か?(¿Qué es filosofía?)』で体系的にまとめられているオルテガの哲学が,初期の著作である『キホーテに関する思索(Meditaciones del ''Quijote'' )』から窺うことができるかを,これら二つの著作の比較から考察するものである.

 『哲学とは何か?』で語られているオルテガの哲学を概括すると,以下のようになる.オルテガにおいて,第一次的な事実は「わたくしの生」である.「わたくしの生」は「精神としての自我」と「周囲世界」の二つで構成されている.構成要素で ある二つを表す言葉は,それらそのものではなく「自我が周囲世界に働きかけること」・「周囲世界が自我に働きかけること」を指している.また「生きることとは、そうであろうとするものを絶え間なく決定すること」とも定義している.周囲世界は運命に属することに対して,自我が周囲世界へ働きかけることは自由 に属する.そして,自我の周囲世界への働きかけは,どのように行動するか決定することと同意であるからである.

 オルテガの生の定義を説明する際に『キホーテに関する思索』からよく引用される言葉は,「わたくしはわたくしとわたくしの環境である...」というものである。最初の「わたくし」はわたくしの生を表し、次の「わたくし」は自我を表している。「わたくしの環境」は周囲世界を表している。これは、『哲学とか何か?』のオルテガの生の定義と対応している。また,自我が精神を表すこと,周囲世界が生に含まれるということ,生を第一次的事実として捉えていること,生の自由性についての観点などが『キホーテに関する思索』から読み取れる.これらも後のオルテガの哲学との対応性が認められる.そのため、『キホーテに関する思索』の時点から、オルテガの哲学がすでに窺えるということは主張できると思われる.



2.質疑応答

(1)「わたくし」について
[問]配布された資料には,「オルテガの哲学とは,「わたくしの生」を第一次的事実と考える哲学」だとある.また,資料では,この「わたくしの生」の構成要素が,[自我]と「周囲世界」と定義されていると述べられている.この二つがどうして構成要素として導き出されるのか.

[答]〈影響〉を与えるものという〈関係性〉からである.『哲学とは何か?』には,「私に対する世界の存在は,わたくしに向けて作用するものであり,そして,同様に,わたくしのものは世界に向けて作用するものである」とある.

[問]『哲学とは何か?』からのこの引用中にある「わたくし」とは何か.また,「自我」と「周囲世界」との〈関係性〉とはなにか.

[答]「わたくし」とは「自我」としての精神のことである.また,「自我」と「周囲世界」とのかかわりは,「わたくし」が関係を関係付けるものとして考えられる.

[問]また、『キホーテについての思索』からの引用にも,「わたくしはわたくしとわたくしの環境である」,「もしわたくしが環境を救わないなら、わたくしはその環境の中でわたくしを救わない事になる」とあるが,この「わたくし」とはなにか.また,「救う」の意味について.

[答]最初の「わたくし」は〈生〉であり,次が〈自我〉,最後が〈周囲世界〉のことと思われる.また,「救う」とは,〈自分が良いと思うようなものとする〉ことだとも思われるが,考慮中である.

(2)「周囲世界」,「環境」,「世界」について
[問]「周囲世界」とはなにか

[答]我々が物体と呼んでいる世界である.これには,我々の体,そして〈他者〉も含まれる.

[問]『キホーテについての思索』からの引用に,「人間は彼らの諸環境の十分な自覚を手に入れたとき,彼の能力の最大限を発揮する.その諸環境によって彼は宇宙と通じるのである」とある.オルテガの言う「世界」と,この「環境」はどう関わってくるのか.

[答]「わたくしの生」のうち,「周囲世界」を表しているのではと思われる.

[問]資料中に,「わたくしの生が展開される世界は,わたくしによっては決定されない」とある.また,「与えられた世界の中でどのように行動するかということには,ある程度の余地があり云々」とも記されている.この「世界」は同じ「世界」なのか.

[答]「周囲世界」という点では同じであるといってよい.

[問]資料では,「世界」の中での「自我」の「選択」が「生」であるといわれているが,これはどういうことか.

[答]いくつかの選択肢があって,それから選ぶ事ができてこそ「生」であるということである(つまり,そのような選択可能性がない「生」は,オルテガからすると,本当は「生」とはいえないということのようである).

[問]「わたくし」と「環境」と「世界」の関係について.

[答]「わたくし」と「環境」,それぞれの〈集合体〉が「世界」かとも思われる.(この後,「世界」概念が明確ではないという意見が出された).

(3)その他の点について
[問]『哲学とは何か』からの引用に,「生は運命の中の自由であり,そして,自由の中の運命なのである」とある.何故,「運命」と「自由」を逆にしても良いのか.

[答]両者は〈共在〉しているので,どちらも互いを含んでいるからである.

[問]「生の哲学」のオルテガと,『大衆の反逆』のオルテガは,一つの〈オルテガ〉像としてどうまとまるか.

[答]『大衆の反逆』等のオルテガの著作は,環境に働きかけるという意味で,「生の哲学」の実践であると思われる.

[問]資料に,「オルテガによると,スペインはその悪徳によってカントに「祖先たちの国」と言われていたと言う」とある.これはどういうことか.

[答]「祖先たち」の「主義」を守りすぎる〈スペイン人の習性〉―戒律、倫理に従順な在り方―を表現しているように思われる.

他には、「第一次的事実があるなら,〈第二次的事実〉があるのか」といった,「第一次的事実」の内容についての確認,あるいは、「オルテガに影響を与えた思想、文学は何か」といった内容の質問や「他者」の概念についての質問があった.




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