広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2011年度(前期) 第12回b
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2011年07月29日(金9・10時限,B201)
発表者:小川貴信(西洋哲学,B4)
発表題目:デカルトの「コギトの存在」について
配付資料:
プロトコル:堀尾俊介・小川貴信

1.発表要旨

 発表者は,デカルトの『省察』をテキストにデカルトの「コギト・エルゴ・スム」命題について考察した後,伊藤勝彦『デカルトの人間像』における,伊藤による「コギト・エルゴ・スム」の考察を追って,伊藤の批判に対して反駁することを本論の目的とする.

 伊藤は,デカルトが「コギト・エルゴ・スム」へと至る過程を,「外的物体の真偽」を疑い,神の連続的創造を持ち出して外的物体の存在を疑うことによって外界のすべてを疑い,そして疑いの眼 が自己へと返ってきたとき,疑う主体であるところの「私」を疑いの対象とすることができず,そこに疑うことのできない不動の一点を見いだした,とした.神の連続的創造がなければ存在はありえず,神の存在証明は「コギト(考える私)」の存在が確立されてはじめて「証明」されることから,デカルトの「コギト・エルゴ・スム」へと至る過程は循環論法であるとした.

 しかし発表者は,伊藤に対して,「デカルトが神の連続的創造を持ち出すのは『存在』を疑うためではなく,ただ『存続』を保証するためのものなのではないか」,「デカルトは疑う主体であるところの私を疑いの射程に入れているのではないか」という二点を問題点として掲げる.本


2.質疑応答

[問]デカルトの思考している間に私は存在している.思考をしなくなった瞬間はどうなるのか.

[答]思惟している時でしか,私は存在しているとわからない.

[問]思考をしなくなったら存在しなくなるのであれば,本稿中に「無から何も生じえない」と述べているのなら自分は存在しなくなるのではないか.

[問]「瞬間」とは,現実世界の中にある瞬間か,それとも抽象的概念での時間の瞬間なのか.

[答]抽象的概念での時間の瞬間.

[問]神の誠実さはどう証明するか.

[答]神は完全で不誠実なら完全とはいえない.

[問]デカルトの学問においてどういう意味で位が高いのか.

[答]いくつもある学問の中で位が高いから.

[問]「コギト・エルゴ・スム(cogito, ergo sum)」は認識と存在の二つの接合関係にあると思われるがなぜか.

[答]デカルトは直感を用いて「コギト・エルゴ・スム」という言葉を使用した.

[意見]論者はデカルトが「存在する(existo)」と「存続する(subsisto)」を切り離して考えているものとして論を展開しているが,そもそもデカルトは精神を「実体」(substantia)としていてこの単語は「存続する」(subsisto)と意味的につながることから,デカルトは精神を「実体」として段階ですでに精神を「存続する」ものとして考えていたのではないか.

[意見]伊藤の「方法的懐疑」の問題点を指摘する文で, ・・・一度も「存続(subsisto)」という表現を用いていない.すなわちこれは,デカルトが「存在」と「存続」を切り離して考えているということである, という指摘で論破するのは難しい.



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