広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第12回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年7月15日(木7・8時限,B102)
発表者:松永亜希子(インド哲学,M1)
発表題目::古代インドにおける婚姻儀礼の矢について
配付資料:A3原稿2枚(表裏),A3原稿1枚(表)
プロトコル:中野冴香(インド哲学,M1)

1.発表要旨

 詩人カーリダーサ(Ka@lida@sa,5世紀)による『クマーラサンバヴァ』(Kuma@rasambhava)の第7章には,シヴァ神とその妃 パールヴァティーの結婚式の様子が詳細に描かれている.卒業論文では,同書に見られる婚姻儀礼と,ヴェーダの補助文献であるグリヒヤスートラ (Gr@hyasu@tra)が規定する婚姻儀礼を比較し,その異同を明らかにした.カーリダーサがこの章に描いたものは,当時望ましいとされていた婚 姻儀礼ではあるが,特定のグリヒヤスートラに従うかたちのものではないということなどが,その結論として導かれた.本発表においては,『クマーラサンバ ヴァ』第7章7詩節から8詩節に見られる,新婦の身支度のひとつ,花嫁が矢を持つことに関する注釈について考察する.
 この書の注釈者のひとりであるナーラーヤナ(Na@ra@yana,16-17世紀)は,この部分の説明に,『マヌスムリ ティ』(Manusmr@ti)第3章44偈を引用する.しかし,引用された偈は,新婦の手を握る儀式(pa@nigrahan@a)を規定するもの で,この場面の矢の説明に対する偈としては不適当である.
 さて,『バウダーヤナ・グリヒヤスートラ』(Baudha@yana-gr@hyasu@tra)には,新夫婦の身支度に関する規定に,新郎は牛追い 棒,新婦は矢を手に持つとある.そして,この書に対するラーマチャンドラ(Ra@macandra)の注釈『サンジーヴィ ニー』(Saj@ji@vini@)には,「矢を手にした〔花嫁を〕とは,ラティのように矢などによって装飾された〔花嫁〕を〔ということである〕」と ある.これらの記述からは,矢が装飾の一部としても用いられることが明白である.『クマーラサンバヴァ』の前述の部分においても,新婦が矢を身につけて 装飾を為していることから,カーリダーサの意図した矢は,身支度としての矢であると考えてよいだろう.

2.質疑応答

[問] 矢を装飾品として持つことが規定されているのは,婚礼儀式のときに限られるのか.
[答] 今の時点ではわからない.婚姻儀式において矢を持つ規定が記されているのは,『バウダーヤナスートラ』と『クマーラサンバヴァ』のみである.今 後各グリヒヤスートラの様々な箇所を検討していく過程で明らかになろう.

[問] レジュメ中に「聖典」とあるが,具体的に何をさすのか.
[答] 『リグ・ヴェーダ』であることは間違いない.具体的な箇所については今後検討したい.文献の範囲をウパニシャッドにまで広げるならば,これと似 た表現を見つけることもできるため,併せて調べていきたい.

[問] レジュメ中に「婚姻の意義とは,法(宗教的義務)を遂行すること」とあるが,具体的にどのようなことなのか.
[答] 婚姻儀式で使用された祭火が,家庭祭祀に用いられる祭火として用いられるということである.

[問] 「四住期」のうちの「林住期」とはどのような期間か.
[答] 「林住期」とは,家住期に息子をもうけ,その息子が家長となったとき,家を離れ,森や林で静かに生活することが許される時期である.

[問] レジュメ中に「矢を手にした〔花嫁〕とは,ラティのように・・・」とあるが,では,77行目から94行目にかけての「花婿が牛追い棒を持つ」意 味はなにか.
[答] 『矢で装飾する』との表現は,五つの矢を持つ愛の神カーマの妻であり,その夫の矢を持ち彼に付き従うというラティの姿に関連づけたものと思われ る.矢と牛追い棒を,魔よけの意味と解する研究者もあるが,その根拠が明らかではないため,今後検討したい.

[問] 『マヌスムリティ』,『バウダーヤナ・グリヒヤスートラ』が言及する「矢」が同じものをさすかどうか定かではないとの発言に対して.それなら ば,今後研究の見通しはあるのか.
[答] 『グリヒヤスートラ』は婚礼儀式に関してだけではなくさまざまな儀礼や風俗に関する記述がある.女性の装飾などの記述など他の規定を参考にしつ つ,考えていきたい.



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