広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第14回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年7月29日(木7・8時限,B102)
発表者:槙尾朋子(西洋哲学,B3)
発表題目:『カルミデス』165b-166c3
配付資料:B4原稿2枚(両面)(B5原稿6頁)
プロトコル:高橋祥吾(哲学,D2)

1.発表要旨

 プラトンの初期対話篇『カルミデス』でクリティアスは,思慮は「自分自身を 知ること[定義1]」と定義する.彼はソクラテスとの対話を通じてこの定義を 「他の諸々の知の知であり,知自体の知である[定義2]」と改めて定義し直 す.クリティアスは定義1から定義2への移行をごく自然に行うが,この二つ の定義には隔たりがあるように思われる.Taylorはクリティアスのこの移行を 不当なものであると解釈している.発表者は今回の発表で,このTaylorの解釈 の問題点を明らかにすることを目指した.
 Taylorの解釈では,クリティアスは自己知を実践的(practical)な知ではな く,理論的(speculative)な知であると想定し,その結果としてデルポイの碑 文が意味していること,つまり自分の長所と短所を直接知ることと, psychologistの持つ知を混同している.そのため,クリティアスは「それ自体 を知る知」としての思慮と近年「認識論」と呼ばれるものを同一視することに なる.さらにソクラテスがこの不当な移行を非難しなかった理由は,ソクラテ スの目的は知の結果ではなく,理解される対象に関することであるからと説明 する.
 以上のTaylorの解釈に対して発表者は,彼の解釈は『カルミデス』のテキスト の中にその根拠を見い出すことが出来ないと批判する.デルポイの碑文につい ても,クリティアスは独自の解釈をしているにも関わらず,碑文の本来の意味 を問題にしておる.しかも,その本来の意味にも根拠がない.また,Taylorは 移行を「自分自身を知ること」から「知自体の知」への一対一の移行として考 えていて,「他の諸々の知の知」ということを無視している.この点にも問題 がある.さらにソクラテスは,知の対象だけでなく,知によって得られるもの にも関心を向けている箇所(165d6-e2)があるため,Taylorの説明は誤りと言え る.

2.質疑応答

[問] 定義1から定義2への移行の理由がわからない.どうしてこのような移行 が可能なのか.
[答] わからない.その理由がわからないので,まず今回の発表では,その移 行の理由を説明する解釈としてよく知られているTaylorの解釈を吟味した.

[問] クリティアスの行った定義の移行に対して,発表者は現段階で,その移 行は不当であると考えているのか,そうでないのか.
[答] 不当ではないと考えている.

[問] 思慮の定義を決める際,クリティアスが定義を提示する以前は,思慮が 「よい」ものであることが前提として議論が始まっているというけれども,自 分自身を知ることであると言われる場合の思慮は,よいことと考えられるの か.
[答] 『カルミデス』では思慮の定義は決まらないため,思慮がよいものであ ると考えられるのかどうかはわからない.

[問] 「一対一の移行」とはどいうことか.
[答] 「自分自身を知る」ことに対応するものとして「知自体の知」が当てら れていて,「他の諸々の知の知」ということを無視した定義の移行として解釈 されているということ.

[問] speculativeをなぜ,通常訳語として用いられる「思弁的」ではなく, 「理論的」と訳したのか.
[答] ここでは,practical とspeculative が対立しているので,「実践的 (practical)」に対立する訳語として「理論的」を用いた.

[問] 「知の結果」と「理解される対象」とはどうちがうのか.同じことではないのか.
[答] 「知の結果」とは,自分に何を為してくれるのかを意味し,「理解され る対象」は得た知識のことである.

[問] 定義1と定義2が両立することが移行なのか.
[答] 定義1が提示されて,その後で定義1の代わりに定義2が提示されたので, そのことを「移行」と言っている.

[問] Taylorとはどのような研究者なのか,プラトンの研究者の中で重要な人なのか.
[答] よく知らない.(教員補足:最重要とまでは言い切れないが,多くの業 績を残し,著書も繰り替えし再版され,参照されている.)

[問 (意見) ] 誰の知なのか,ということが今後問題となってくると思う.他の対話編として『テアイテトス』を参照するのがよいと思う.



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