広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度 第16回a
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年10月19日(金9・10時限,B253)
発表者:片山由美(インド哲学,D1)
発表題目:『法華経』「譬喩品」の一乗思想−声聞シャーリプトラと一乗法−
配付資料:A3用紙2枚(両面)
プロトコル:田村昌己(インド哲学,M2)

1.発表要旨

 『法華経』「譬喩品」冒頭部において,シャーリプトラは一乗法を信受するに至る自らの胸中を吐露している.本発表では,「譬喩品」第9-10偈を中心 に,先行研究の問題点を指摘しつつ,シャーリプトラの一乗法信受の過程を明らかにし,『法華経』における一乗思想について考察した.
 一乗法を聞く以前の声聞シャーリプトラは,菩薩たちに出会ったことにより,自分は如来の知見から見放されていたのではないかと憂い,苦しんでいた.し かし,一乗法を聞くことによって,仏が自分達に説かれた声聞の教えには深い意図(仏乗へ至る方便として声聞の教えが説かれているということ)があったこ とに気付き,苦しみから解放され歓喜に至る.このような一乗法の聴聞による声聞の法の捉え直しの過程に声聞の教えと矛盾することなく成立する『法華経』 の一乗思想の一端を見い出すことができる.

2.質疑応答

[問]如来の知見とは何を指すのか.
[答]「仏智」を指す.

[問]仏の音声と仏の法に違いはあるのか.
[答]「仏の音声」とは,仏の説法におけることば,つまり「方便品」で明かされる一乗の教えである.よって,「仏の音声」は「仏の法」(仏になるための 教え)と差異はない.

[問]第10偈の「仏法」というのは「方便品」で説かれたところの一乗法を指すのか.
[答]シャーリプトラが三度世尊にお願いした後「方便品」で明かされた一乗の教えである.

[問]「偉大な智慧を悟った世尊だからこそ,深い意図を込めて説法される」とあるが,なぜそう言えるのか.
[答]「意図を込める」とは,「密意をもって」という意味である.世尊の悟った智慧は「無漏で微妙で思議し難い」と語られている.そのような悟りだから こそ,直接的に説くことができず,意図を込めて説法するということである.一乗と三乗の関係で説明すると,一乗の教えは難解であるから,声聞の教え(を はじめとする三乗)をまず方便として説いたという意味である.

[問]どのような意味で「信受する」という表現を用いているのか.
[答]「信受」とは,文字通り信じ受け入れるという意味で用いた.しかしサンスクリット語の「聴く」(c@rutva@)とは対応しないため「聴聞す る」と訂正する.

[問]一乗の教えとは何か.また,それは声聞の教えとどう異なるのか.
[答]一乗の教えとは一切衆生が仏になることができるという教えである.声聞の教えとは阿羅漢を最終目的とする,つまり自己のための涅槃に向かう教えで ある.

[問]シャーリプトラが苦悩から解放されたのは一乗法に深い意図があることに気付いたからであると,理解してはいけないのか.
[答]一乗は真実で,三乗が方便として説かれる.シャーリプトラは声聞の教えが一乗へ至るプロセスであること,つまり一乗を方便として説かれたことに気 付くことによって,苦悩lから解放されるのである.

[問]第10偈の‘bodhiman@d@e’という位格表現は場所ではなく,ある状態を示していると理解することはできないのか.
[答]‘bodhiman@d@a’は一般的に「菩提道場」と翻訳され「世尊が悟りを開いた場所」として理解される.しかし仏語や蔵語や漢訳者は「最高 の菩提」という意味で理解しているため,どちらが適切か今後検討してみる.

[コメント]シャーリプトラの心情を理解する上で前提となる,阿羅漢果を得た声聞は仏果を得られないという理論について言及すべきではないか.

*この他にも,重要な指摘・コメントが多数なされ,活発な議論が展開された.



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