広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第16回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年10月22日(金9・10時限,B253)
発表者:根本裕史(インド哲学,D1)
発表題目:ツォンカパの『中論』註釈における三時不成の論理
配付資料:A3原稿4枚,A4原稿1枚
プロトコル:根本裕史(インド哲学,D1)

1.発表要旨

『中論』の第二章「去来の考察」は,不去不来の縁起を説いた章である.その冒頭において提示される「三時不成」の論理は有名であり,既にインド学,仏教学の研究者による優れた研究が数多く発表されている.しかしながら,チベット仏教における「三時不成」の論理の展開については,これまで研究の対象とされてこなかった.ツォンカパの『中論註』 rTsa she Tik chen は,この論理をめぐってなされた彼以前のチベット人による解釈への批判意識が濃厚に見受けられる点で,注目に値する註釈書である.また,そこでのツォンカパによる議論は,中観哲学における時間観について考える上で貴重な視点を提供するものである.
「三時不成」の論理に関連して特に彼が大きな関心を寄せていたのは,現在の否定に関してである.彼は,マチャ・チャンツォンの『中論註』 'Thad pa'i rgyan に見られるような見解,すなわち,〈既に去られたもの〉と〈未だ去られていないもの〉の両者が直接対立することを根拠にして〈現に去られつつあるもの〉の存在が否定されるのだという見解を批判した.そして,『中論』において現在が否定されているのは,現在が全くの無であることを意味するのではなく,それが本性に基づいて存在しないことを意味するのだと考えた.こうしたツォンカパの解釈は,言説有たる三時の設定を可能にするという点で,極めて大きな効果を有するものである.


2.質疑応答

[問] 「本性によって存在する/存在しない」とは,如何なることか?

[答] 「本性によって存在する」というのは,他者に一切依存することなしに,対象それ自身の持つ特質に基づいて存在する在り方を意味する.中観派の見解において,「本性によって存在するもの」は全く認められず,およそ存在するものは他者に依存して成立している,換言すれば,「本性によって存在しない」と見なされている.

[問] マチャ・チャンツォンによる解釈の思想的背景は何か?

[答] マチャの『中論註』 'Thad pa'i rgyan では,「三時不成」に関してごく簡潔な説明がなされているのみであるから,彼の解釈の思想的背景は不明である.現時点で,彼の著作は 'Thad pa'i rgyan しか出版されていない.マチャの思想をより詳細に研究するためには,その他の彼の著作が発見され,出版されることが望まれる.

[問] ツォンカパによる解釈の持つ「註釈上の効果」とは何か?

[答] マチャ・チャンツォンは,『中論』第二章の第一偈で「現在の道」の無なること(med pa)が説かれていると考えた.そのため,彼の解釈の場合には,第一偈で一度否定された「現在の道」が,第二偈以降で再び問題にされ,否定されているのだと考えねばならない.それに対し,第一偈では「現在の道」が本性によって存在しないこと(ngo bo nyid kyis med pa)が説かれているのだとするツォンカパの解釈の場合には,『中論』第二章の論の流れを一方向的に捉えることが可能である.すなわち,第一偈で「本性によって存在する現在の道」に「去る作用」が存在しないことが説かれた後,第三偈から第六偈では「本性によって存在しない現在の道」において「去る作用」が本性によって存在しないことが説かれていると捉えることが出来るのである.




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