広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第18回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年11月1日(月9・10時限,B253)
発表者:土肥晴美(インド哲学,B4)
発表題目:Bhagavadgi@ta@研究
配付資料:A3原稿5枚(表裏), A4原稿1枚(表裏)
プロトコル:中野冴香(インド哲学,M1)


1.発表要旨

 今回の発表では, 『バガヴァッド・ギーター』(Bhagavadgi@ta@)の解脱観を理解するための重要な鍵であるヨーガ(yoga)のについて考察する.  『バガヴァッド・ギーター』は解脱に至る方法を一つに限定せず, 各人の性向,能力や資質に応じて選択の余地を与えている. 純粋精神(puruc@a)と根本原質(prakr@ti)の関係を正しく区別する知識と神性の認識に基づくジュニャーナヨーガ(jj@a@na- yoga), 「平等観」と「行為の放擲」に基づいた義務の遂行に基づくカルマヨーガ(karma-yoga), 神に対する熱烈な信愛に基づくバクティヨーガ(bhakti-yoga)である. ジュニャーナヨーガ, カルマヨーガ, バクティヨーガは内面的に密接に関連しており, どれが欠けても人を解脱に導くことはない. それぞれ他の二つを根拠として実修することにより人は解脱に到達することが可能となる. 一切の行為を神のためになし,これを神に捧げ, その結果を顧みることなく行為をなす人が『バガヴァッド・ギーター』の描いた理想であると考えられる.



2.質疑応答

[問] 「理論的知識」とはなにか.

[答] 世界は, 純粋精神, 根本原質から構成されている. 純粋精神と根本原質の峻別が理論的知識である. この区別知は, 神を知ること, つまり真の知識の前提となる.

[問] 一見すると, ジュニャーナヨーガとカルマヨーガが対立しているようにみえる, というのは, 発表者の見解なのか.

[答] 多くの研究者の見解でもあるし, 発表者もそのように考える.

[問] 純粋精神を神と考えてよいのか.

[答] そうである. 純粋精神を神とするのは, ウパニシャッドの影響からではないかと考える.

[問] バクティヨーガは神, 人間間の双方向的なものか.

[答] バクティは人間から神への愛である. 神から人間への愛は恩寵といわれ, バクティとは呼ばない.

[問] 「自己」と「自我意識」の語のちがいとは.

[答] ここでは, 純粋精神を「自己」, 根本原質の開展の第二段階であるブッディ(buddhi)を「自我意識」と表現している. 本来, 自己とは純粋精神である. 「自我意識」とは, 根本原質の開展の第三段階であるアハンカーラ(ahan@ka@ra)が, 過って, 根本原質の開展の第二段階である自我意識を自己と認識したものである.

[問] 三つのヨーガが内面的に密接的に関わることによってはじめて解脱に達することができるとあり, また一方では, 各々のヨーガの完成によって解脱が可能であるとの説明があるが, このふたつの表現は矛盾ではないのか.

[答] 矛盾ではない. 『バガヴァッド・ギーター』が説く三つのヨーガは, 各人の性向, 能力や資質に応じて選ばれるものであるが、それらのうちのただひとつが選択されるのではなく, 各人によって三つの割合が変わってくるということである.




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