広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度 第18回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年11月10日(金9・10時限,B253)
発表者:片山由美(インド哲学,M2)
発表題目:『法華経』「方便品」の研究
−成仏できる根拠を「如来の請願」から推測して−
配付資料:A3用紙6枚(片面)
プロトコル:田村昌己(インド哲学,M1)

1.発表要旨

 本発表では,『法華経』「方便品」で説かれる一乗思想を成仏の根拠という点 に着目して考察した.

 先行研究は,鳩摩羅什の翻訳に依拠して,成仏の根拠を衆生の持つ「仏性」に求めている.しかし,原典で「仏性」に相当する語を見出すことは出来ないた め,先行研究の解釈には疑問が残る.これに対し,発表者は「方便品」100偈で述べられる如来の誓願こそが成仏の根拠になると考える.なぜなら,100 偈では,「私は,菩提を獲得するため修行し,人をも菩提を獲得させるために修行させたいと願う」という如来の誓願を根拠に,「法を聞くものは皆成仏でき る」という結論が導かれているからである.

 また,小川一乗氏の研究によれば,‘tatha@gatatva’という語は「仏性」の原語ではない.そして,『法華経』で は‘tatha@gatatva’という語によって,諸法の本質を知る「智慧」とその法を衆生に説く「慈悲」の両面が意図されている.このことと先の 100偈の解釈を踏まえると,後続の101偈の‘tatha@gatatve’という語は,先行研究のように解釈するのではなく,与格を意味する位格で あると解釈すべきである.それにより,「一切衆生が成仏することを目的として(tatha@gatatve)」如来は法を説くと理解することができ,そ れは如来の持つ「慈悲」に他ならないと言うことができる.

 以上のことを踏まえると,菩提を獲得した後,‘tatha@gatatva’を有した仏が,それを衆生にも獲得させたいというただ一つの目的のため に,常に恒常なる一乗を巧みな方便を用いた様々な教説によって説き明かして,一乗を示しながら法を説くという構造が理解できる.つまり,衆生側の能力に 無関係な如来の誓願を根拠に『法華経』の一乗は成立するということが理解されるのである.


2.質疑応答

[問]先行研究ではなぜ衆生の能力の有無(仏性)が問題となるのか.
[答]問題となるというよりも,成仏の前提として想定されている概念だと思われる.

[問]『法華経』の著者は誰か.
[答]仏弟子.

[問]一乗と一仏乗は違うのか.
[答]同じである.

[問]仏性が不必要ならば一乗と言えなくなるのではないか.
[答]この問題に関してはまだ研究途中であるが,『法華経』「方便品」においては,個人の有する仏性を根拠に成仏が成立することを説いてはいないと思わ れる.救済者としての如来が強調され,如来と衆生の関係は「仏子」という言葉にあらわれていると思われる.

[問]仏性を認めない場合の一乗とはどういうものなのか.
[答]本稿では,「如来の誓願」に着目して考察してみた.仏性を認めないとは決して主張されていない.ここで強調したことは,衆生の能力に関係ない仏の 平等な法が一乗だということである.

[問]「仏性」に相当する語がないからといって,そのような思想(如来蔵思想)がなかったと言うことができるのか.
[答]発表者は,『法華経』において如来蔵思想を見い出しがたいと考えている.

[問]一乗教とは何か.
[答]一乗を説く教えのことである.

[問]「法の名称を聞くだけで菩提が得られる」とあるが,法の名称を聞いただけで本当に菩提が得られるのか,それとも法の名称を聞いて修行を行なうこと が必要なのか.
[答]法や法の名称を聞いて修行をする,ということが前提にある.

[問]小川氏の『宝性論』における「仏性」の原語に関する研究を,時代的に古い成立の『法華経』に当てはまることができるのか.もしかすると,『法華 経』において‘tatha@gatatva’が「仏性」に相当する語であった可能性もあるのではないか.
[答]その可能性もありうる.

[問]法(dharma)と一乗(ekaya@na)はどう違うのか.
[答]一乗とは,仏の覚りそのものであり,仏智(buddhajj@a@na)であり,言葉にできないものである.一方,法はその覚りを言葉にしたもの である.

[問]『法華経』は,成仏できる根拠としての「仏性」を,積極的に「不必要である」と説いているのか,それとも「あってもいいが説かない」のか.
[答]如来を視点に考えた場合は誓願が成仏の根拠となるから不必要と言える.しかし,これを衆生を視点に考えた場合は「あってもいいが説かない」と言え るかもしれない.

[問]『法華経』には,「自らが覚れば,他者も自ずから覚る」という考えはあるのか.
[答]ない.

[問]「『法華経』の一乗思想が実際に批判対象とするのは説一切有部をはじめとする伝統部派の三乗区別観」とあるが,思想史的にそういえるのか.
[答]思想史的な背景を把握できていないため今後検討してみる.



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