広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度 第18回b
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年11月02日(金9・10時限,B253)
発表者:米森慈子(哲学,M2)
発表題目:トマス・アクィナスのイデア説--全能の神と悪の問題
配付資料:A3用紙4枚(片面)
プロトコル:高橋淳友(哲学,特別研究員)

1.発表要旨

 以下の要旨は,発表者が当日配布した資料に基づいて作成されたものである. 発表者は,トマス・アクィナスのイデア説を論ずるに当たって,今回の発表では〈悪の問題〉を取り上げる.発表者が述べるところによると,「キリスト教神学」では「伝統的に」「神」は「善そのものだと見なされている」ということであり,また,トマスの「イデア説」は,「神のうちにある観念」という意味でのイデア理解であるということなので,発表者の理解するトマスの〈イデア説〉の観点から言えば,神のうちには「悪のイデアは,それ自体存在しない」ということになる,といえる.しかし,発表者の述べるように,「われわれはある種の悪を実際に見出す」−トマスによると「むしろ必要」なのだという−のであるならば,「実際に見出」されるこの〈悪〉をどのように理解することが必要であるのか.この点を発表者は,「部分の善と全体の善」,「人間の自由意志と神の全能性について」の二つの節で取り扱っている.

 まず,前者の「部分の善と全体の善」において,発表者は,「神は個物のイデアをもって個物を創造する」,「善なる神は故意に欠陥のあるイデアでもって欠陥のある個物を創造したりはしないであろう」と述べる.しかしまた,「現実には種の完全性からすると問題のある,善性の欠けた個物は存在する」という.発表者によると,これは,「宇宙の完全性」のために「必要」な「事物間」の「不均等」という点から説明されるのだという.つまり,トマスの説明によると,「事物の世界」には「不可滅的な存在のみならず,可滅的な存在を必要とするように」,「宇宙の完全性」は「なんらかの善性の欠落することの可能なものの存在を要求する」のだという.また,「生命維持のために騾馬が獅子に食べられる」といった,「全体性の観点から」して「必要悪」として理解することができる〈悪〉があるという.そしてまた,発表者によると,「美徳を得させる為に」「敢えて存在すること」が神によって許された「苦しみ」のような〈悪〉,つまり,「自然的な欠落による悪とは別の理解を必要とする」,「道徳的または宗教的善」のための〈必要悪〉もあるとされる.

 「道徳的悪」も,この〈必要悪〉の観点からすると,「罪を受け継いでいる不完全な人間」が「神に向き直る」という「目的」のために,「救われる人間」のための「道具」として捉えられるということになると発表者は見なしているが,先に言及した二つの節のうちの後者,「人間の自由意志と神の全能性について」では,この「道徳的悪」の「原因」である「人間の自由意志」と,「その人間を存在せしめた第一原因としての神」について「検討」がなされている.発表者によると,「トマスの説明」は,「自由意志をめぐる神の働き」と「人間の自由意志」という「両者」の「調和をはかっている点」において「評価されるものとなっている」という.すなわち,発表者によると,「人間は理性の熟考のゆえに自らの行為の主人」であるが,「無限の先行する熟考というものはありえないので」,「人間の自由意志は人間精神を超える外的根源,すなわち神によって動かされる」ものとされる.そしてまた,発表者が述べるところによると,「人間の誤った自由意志の行使,つまり,道徳的悪」は,「自然本性の堕落によって善から阻害されている」という点で理解されるものだという.したがって,「人間が罪に陥ることなく善を選び取ることができるのは,人間自らの固有の働きであるのではなく,運動の第一根源である神からの助けによる」とされる.つまり「恩寵の働きが必要」とされている.

 さて上記したように,「善そのものであると見なされている」という「神」のうちには「悪のイデア」は「それ自体存在しない」のであるならば,そして発表者が述べるように,「われわれ」が「ある種の悪を実際に見出す」のであるならば,「実際に見出」されるこの〈悪〉と神との関係が確かに問題となるであろう.「トマスの理解する悪」の場合,この両者の関係は,発表者の言葉を援用するなら,「正義の秩序を伴う「宇宙全体の秩序」という観点から,神には悪の原因は全くないという前提を崩すことなく説明されていくもの」なのだということになるであろう.

2.質疑応答

[問]配布資料に,「トマスの宇宙観に従うと自然的な事物のうちには段階的なそして完全性の度合いによる秩序づけが見出されるので,善性の段階というものも見出される」とあるが,善と悪という在り方も,神が区別をしてゆくなかで成立しているのか.

[答]区分という点でいえば,〈善〉と〈悪〉ではなく,〈善〉と〈善の欠如〉に分けるということである.

[問]「悪のイデアは,それ自体存在しない」のに,「われわれはある種の悪を実際に見出す」とすると,そのような「悪」の成立はどのようなものとして考えることができるのか.

[答]「善性の欠落」として考えられる.

[問]配布資料に,「トマスによると悪自体は限定できるものではなく端的な意味では有でも非有でもない」とあるが,どういうことか.

[答]「善性」の「欠落」,欠如である以上〈それ自体〉で〈ある〉わけではないが,「善を知ることによって悪を知る」ことはあるので,〈ない〉というわけでもない,ということ.
(プロトコル作成者;ちなみに発表者は,配布資料の脚注の一つで,「否定や欠如は概念的な有にすぎない」と述べている).

[問]悪自体は作らないとしても,善の欠如しているものを造るのは,神が不完全という見方もできるのではないか.

[答]確かに,歴史的には,聖書等に基づいて,〈神は全能ではない〉とする考え方をとる人々もいた(プロトコル作成者;この答に対しては,聖書からそのような問題提起は可能であるが,そのような解釈しかない,というわけではないという意見が出された).

[問]配布資料に,「神は将来の予知能力がある」,「もし全能の神が過去,現在,未来のことをすべて知る全知であれば何事も神が予知したとおりに起こるよう運命付けられていることになり,理性的被造物の自由意志の余地がなくなる」,「将来を予知する神の能力は人間の自由意志と調和するのか」とある.結局何を問題として提起しているのか.

[答]神がすべてを知っているなら,その神の「被造物」である人間の意志は自由であるといえるのか,ということを問題として提起している.

[問]人間が道徳的な悪を行うにあたり,そうしないようにする神の働きかけはないのか.

[答]強制するような形では影響を与えず,「意志にその固有の傾きを与えるという仕方によって」影響を与えると思われる.

[問]神が〈介入〉するとするなら,それはどんな仕方でどんな時にか.

[答]例えば,〈罰〉を与えて善へと人間を動かす,といったような在り方をとる.そしてこのことを考えるならば,必ずしも人間が望むときに〈介入〉するわけではないと思われる(プロトコル作成者;発表者は配布資料において,例えば,「全宇宙は実在することにおいて神の意志の働きがあり,恩寵があるといえる」,「人間には神の力の行使を批判できる権利はない」と述べている).

 以上の他に,配布資料中の文章,または使われている言葉についてのさらなる説明を求める質問があった. また,神と,人間の意志の自由についての問題について,「動かされているので,結局自由意志とはいえないのでは」といった疑義の提示があった.さらにまた,内容に関して「もっと整理すべき」といった助言がなされた.



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