広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第19回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年11月19日(金9・10時限,B253)
発表者:村下邦昭(哲学,D3)
発表題目:「フィヒテ初期知識学における同一性に関する考察」
配付資料:B4原稿6枚
プロトコル:高橋祥吾(哲学,D1)

1. 発表要旨

 初期知識学における,同一性についての考察.同一性には大別して2種あ る.第一原則におけるそれと,第三原則におけるそれである.第一原則におけ る同一性は,「A=A」という命題に代表される,同一律と関係する.フィヒテ 第一原則の発見のために同一律から始めるのである.「AはAである」は「もし Aが存在するならば,その場合Aは存在する」ということであり,形式的であ る.しかし,この形式においても,前件と後件には必然的連関(Xと名付けら れる)がなければならない.
 このXは自我の内に,自我によって定立されている.したがって,「AはAで ある」は「もしAが自我の内に定立されているならば,その場合Aは定立されて いる,あるいはAは在る」と表現される.そしてさらに,「自我は自我であ る」という同一性がXである.この「自我は自我である」ということこそが, 判断形式の最高の形式である.そしてこの同一性に,一切の同一律が根拠付け られている.このような同一性は「自同性」と呼ばれるべきものである.
 他方,第三原則と関係する同一性は,「自我は自我である」という最高の判 断形式によって,異なるものが同一と見なされたり(関係根拠),等しいもの が反立させられる(区別根拠)ことに関係する.第三原則を一般化すると, 「XにおいてAは非Aに等しい」となる.第三原則は根拠律であり,Xにおいて, 反立するものを等しいとしたり,等しいものを反立させるという二つの側面を 持つ.この二つの側面(関係根拠と区別根拠)は相互関係にある.「A=B」と いう判断には,この二つの根拠が含まれている.そして,自我の実際の活動 は,この二つの根拠に基づいて展開される.つまり,反立と総合が展開され る.この関係はただ「同一性」と呼ばれるべきものであり,自我の行う,総合 という活動なのである.

2. 質疑応答

[問] 「自我」と「自己」は別なのか.
[答] 自我は主観的なIch,自己は自我が自らを対象としたときの表現.

[問] 「Aが存在する故に,Aは存在する」と言うことは,同語反復なのではないか.
[答] 「Aが存在する故に」と言う時点で,Aを定立する働きがあるため,違う.

[問] 概念の同一性は,概念の抽象化に伴う共通性による同一性か.
[答] そうである.

[問] 上位概念によって下位概念を同一視する限りで,なんでも等しいと言えるのか.
[答] 言うことはできる.その場合の判断とは,主体の行う判断である限り は,問題ない.その時点では,真偽が問題にならないから.真偽は,判断主体 と他者との関係によって決定される.

[問] 反立されたものの「徴表」とは,意識の外にあるものの「徴表」のことなのか.
[答] そのとおりである.

[問] 自我と非我を足したものが,不可分の絶対我と言えるのか.
[答] 言えない.次元,ないしレベルが違うので,単純に自我と非我を足した ものとして,絶対我を考えることはできない.

[問] 「XにおいてAと非Aは等しい」というが,XとAの関係とXと非Aの関係 が,どちらも類種関係(あるいは上位概念と下位概念の関係)であるとするな らば,虚偽が生じないか.(例えば,Xを「動物」,Aを「人間」,非Aを「ネ コ」とした場合.AがXであり,非AもXであるなら,人間は猫であるとなってし まうのではないか.)
[答] フィヒテの考え方は,逆方向の為にそのような虚偽は生じない.つま り,Aと非Aを同一視するためではなく,区別するために「XにおいてAと非Aは 等しい」と言っている.Aと非Aを区別するための根拠Cが必要とされているの である.

[問] フィヒテの三原則の第二,第三原則に出てくる「自我」は「絶対我」と 読み替えることはできるのか.
[答] 第二原則はできる.その場合の「非我」は無である.第三原則はできない.

[問] フィヒテが同一性を問題にしているねらいは何か.「自我」という概念 の導入のためか.
[答] そのとおりである.

以上.



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