広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2004年度 第20回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2004年11月26日(金9・10時限,B253)
発表者:高橋祥吾(哲学,D1)
発表題目:「フレーゲによるSinnとBedeutungの区別について」
配付資料:A4原稿6枚
プロトコル:村下邦昭(哲学,D3)

1. 発表要旨

 フレーゲは自身の論文「意義と意味について」において,「意義」(Sinn)と「意味」(Bedeutung)の区別についての説明を行っている.フレーゲにとって,それらの区別は関数(Funktion)の導入に必要なものであった.
 フレーゲは論の初めに同一性の問題を取り上げる.つまり,a=aとa=bとが異なる意味内容を持つことを説明するために,名や記号に対して「意義」と「意味」との区別を導入する.ここで論じられる「意味」とは,名が表示する指示対象である.他方の「意義」は客観的なものであり,万人にとって共有財産になりうるものであると,フレーゲは論じる.
 以上は,語に関する「意義」と「意味」であるが,さらにフレーゲは文に対してもそれらを適用しようとする.フレーゲは,文(命題)の「意義」を「思想」(Gedanke)と呼び,他方,文の「意味」は「真理価値」と呼ぶ.文の「意味」が真理価値を持つ理由として,「思想」は持つが「意味」を持たない文をフレーゲは論じる(発表者は「河童が相撲をした」を例文とした).つまり,文の真偽を問題にする場合,文の「意義」を問題にすることから,文の「意味」を問題することへの移行を促すのである.文の「意義」だけを分析しても,文の真偽判断は不可能である.
 だが,このような論述はフレーゲが考えていた概念記法(完全な言語)において可能であって,日常言語においては,「意義」に関して問題が生じる.例えば,「アリストテレス」といった記号に対して,複数の「意義」が対応する場合があり,日常言語において,「意義」の揺れというものが存在するのである.
 フレーゲの論述に従うならば,「意義」は「意味」を何らかの形で規定するような役割,即ち,「意義」を通じて「意味」を理解することになるであろうが,論文「意義と意味について」においては,そのことが明確に論じられていない.しかも,「意義」が「意味」を認識するための手段であるならば,「意義」は「意味」の存在を前提していることになり,「意味」の無い語(あるいは文)に対して,「意義」が成立しない,ということにもなる.
 論文「意義と意味について」はこのような問題点を残したままである.即ち,「意義」についての説明が曖昧なのである.特に日常言語にフレーゲの論述を適用する場合には,かなりの困難を伴うであろう.

2. 質疑応答

[問] 「意義」とは何か.
[答] 「意義」については『意義と意味』において明確に述べられていないが,客観性を持つとされる.「意味」を知るために必要なものだが,日常言語では「意味」の無い文があり,意義も無くなる可能性がある.フレーゲは「意義」を完全言語において考えていた.

[問] 「アリストテレス」の例について.複数の「意義」に結びつく「意味」は同じなのか.
[答] 同じ.

[問] 「あらゆる真である文の「意味」は同じであった」とあるが,文の「意味」の真理値が同じであるということか.
[答] 真である文はどれも同じ対象(=真)を持つ.

[問] 「意義」と「意味」をフレーゲが初めて区別したのか.区別されている時は,同じ内容を指していると考えられるのか.
[答] 初めてかどうかはわからない.ここでは,我々が「意味」と使う時,指示対象とそれを知る意義を区別することを目的としている.「意義」と「意味」の両者を足すと,一般的な「意味」ではなく,それを捨象している.

[問] 「意味」は「意義」を特徴づけるものなのか.「意味」が大前提であって,そこに「意義」が付け加えられて,別の「意義」になるのか.
[答] 一般的には「意味」と「意義」は一緒にある.「意義」のない文章は考えられない.「意味」を知る手段が「意義」を知る手段である.「意義」によって具体的な対象を指すことになる.「意味」は対象を必要としている.「意味」を前提しているとは言いがたい.

[問] 文の「意味」について,例えば,「舟をこぐ」と「寝る」との関係はどうなるのか.
[答] フレーゲは比喩を主観的なレベルと考えている.「意味」に対して「意義」を付加している.「意味」自体は客観的である.

[問] 完全言語とは関数などのことか.
[答] フレーゲは数学的に考えている.日常言語に適用しようとすると無理が出る.

[問] 客観的なイメージは「意味」か.「意義」は主観的イメージであるということの対義語か.
[答] 表象と「意義」は対立しているので対義的である.

[問] 「河童」は想像上の動物であるから,文の「意味」は無いということか.「河童」が実在すれば,「意味」を持つのか.
[答] そうである.但し,真偽判断はできない.「意味」のない文は「意義」だけになる.「河童」が実在すれば,「意味」を持つ.

[問] 文は命題か.
[答] 同じで良い.

[問] 指示対象がないというが,指示内容が無いとも言えるのか.対象が無くても内容が対象を示している場合もあるのでは.例えば,溺れている人の原因としての河童の場合など.
[答] 対象(Gegenstand)は実在的なものである.

[問] ObjektとGegenstandとの違いについて.フレーゲは意識的にGegenstandを使っているのか.
[答] フレーゲは意識してGegenstandを使用している.

[問] 文の Gedanke は指示対象を持つということか.
[答] 文の Gedanke は文の「意義」を持つので,対象を知るために必要なもの. Gedanke は真理条件と,フレーゲは後に述べる.

[問] 違う言語間において,同一の対象を指す場合,「意義」と「意味」はどうなるのか.
[答] 多言語間では,記号が違うが,「意味」は同じ.翻訳時に異なるのは主観的レベル(表象)の違いにすぎない.

[問] 「河童」という語は方言によって異なるが,その語が同じ内容を持つから,「河童」という語が成立しているのか.
[答] 「意味」が同じなので成立する.「意義」に関しては別の[問]題となる.

[問] a=aとa=bについて.
[答] bをaと同じかどうか判断する際には,同一対象を指示しているかを考えなければならない.

[問] 「人間は動物である」「人間は動物ではない」というように同一主語で逆のことを語ることができるが,同じ認識を共有していることが前提か.
[答] フレーゲは問題としていない.もし,フレーゲに依拠して言うならば,それは「意義」の違い.日常レベルのことをフレーゲは説明できない可能性がある.

[問] 主語−述語関係は日常言語においてのみか.
[答] 普遍言語間では主語−述語関係はない.

[問] 語のニュアンスはどうなるのか.
[答] フレーゲはそれを捨象して論じている.フレーゲは数学的に考えている.

[問] 一つの語に対する「意義」の異なる二つの文によって,別の文ができるが,その「意義」が異なるというのはどういうことか.
[答] 語の「意義」は文の「意義」に関与する.語の結びつきによって,文の「意義」が異なる.

[問] Bedeutungに「指示」という意味は無いのか.
[答] 英訳でも異なる.Bedeutungは指示対象以外の訳ができる.

[問] 同じ対象でもアスペクトや語の連関根拠によって異なるのでは.例えば,青いリンゴは,リンゴ性(普遍性)と青い(付帯性)とに分けられる.
[答] 対象の属性は問題にならない.

[問] 明けの明星と宵の明星は指示対象が異なるのでは.
[答] 事実として同じものを指していることをフレーゲは考えている.確認できなくても,対象指示が同じであるとしている.

以上.



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