広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2005年度 第20回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2005年11月18日(金9・10時限,B153)
発表者:田村昌己(インド哲学,B4)
発表題目:『中論』第16章における輪廻の否定について
配付資料:A3原稿2枚+A4原稿1枚
プロトコル:平川真織(インド哲学,B3)


1. 発表要旨

 ナーガールジュナの主著『中論』第16章第1偈から第 3偈で展開される輪廻の否定を理解するために,チャンドラキールティ による注釈書『プラサンナパダー』の論理展開を整理し,まとめた.  まず,輪廻の主体として諸行と有情が想定されており,そのうち,諸 行は五蘊を示すのに対して有情は五蘊に依拠して仮に名付けられるも の,アートマンを示していると考えられる.議論の流れとしては,常住 な諸行,無常な諸行,無常だが相続をなしている諸行の順に否定され る.有情に関しては,まずアートマンが存在しないこと,次にアートマ ンが輪廻する場合の難点の指摘がなされて否定される.


2.質疑応答

[問]単なる行は,過去の行と同じ理由で否定されるのか?

[答]どちらも現に存在しないために行為作用を持たないという理 由により否定される.ただし両者には,「単なる行」の否定によって刹 那滅する行の否定がなされ,「過去・未来の行」の否定によって相続を なす行が否定される,という違いがある.

[問]諸行は五蘊である,と言えるのか?

[答]ここでいう諸行は十二因縁の一つである諸行ではなく,一般 的に「諸行無常」と言われる場合の諸行であるので,五蘊と言える.

[問]龍樹はインドの根本的な思想を否定したことになるのか?

[答]そうではない.龍樹は,「輪廻」が言葉だけのものであり, 概念を否定することで「輪廻」の「ある・ない」に捕われることを否定 しようとした.

[問]刹那や輪廻を一度否定した後で,また持ち出すのは無意味で はないか?そうしなければならない理由があったのか?

→保留



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