広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度 第20回a
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年11月16日(金9・10時限,B253)
発表者:日高誠(インド哲学,B4)
発表題目:プラジュナーカラマティの二諦説
−Bodhicarya@vata@rapaj@jika@ 第9偈第2偈を中心に−
配付資料:A1用紙(両面)
プロトコル:片山由美(インド哲学,D1)

1.発表要旨

 Bodhicarya@vata@ra(『入菩提行論』)は、シャーンティデーヴァによる、菩薩の実践行を中観派の思想体系のなかで説いた作品として知られる。この作品は偈頌のみからなり、その内容を理解するためには注釈書による必要がある。注釈書は多種あるが、梵文テキストが刊行されているのは、プラジュニャーカラマティによる Bodhicarya@vata@ra-paj@jika@ (『入菩提行論細疏』)のみである。

 本発表は、 Bodhicarya@vata@ra第9偈第2偈に対するBodhicarya@vata@ra-paj@jika@ にもとづいて、プラジュニャーカラマティの二諦説の一端を提示する。

 考察の結果、知(分別智つまり真実ではないものを知る智)は世俗であり、知の対象ではないものが真実であるから、<勝義の証得>を目的とする<勝義の教示>はあくまでも世俗に依拠して、<勝義>は言語表現できない、概念化されないということを主張していると考えられる。

2.質疑応答

[問]知は<世俗知>とは、どういう意味か。

[答]まず「知」とは、分別知であるという前提がある。

[問]「無明」とは仏教の真実を知らないということであるか。

[答]「無明」には二つの意味があり、ひとつ目の意味が、真実を知らない「無知」という意味である(アサンガの解釈)。ふたつ目の意味が、「真実とは逆のことを知る」という意味である。これはチャンドラキールティの解釈である。とりあげた文脈では、後者の意味で用いられている。

[問]「言説諦」とは「世俗諦」と「真義諦」の中間を指す真理であるか。

[答]「世俗諦」を言い換えた表現である。

[問]「本質の直観を覆い隠す本性」における「本性」とはどのような意味か。

[答]今後検討してみる。

[コメント]

脚注1に、シャーンティデーヴァの年代ははっきりしないと記しているにもかかわらず、本文に明確に記しているのは矛盾するのではないか。

脚注2に、チベット選述のものに9種あるとあるが、実際数えきれないくらいある。

*この他にも、重要な指摘・コメントが多数なされ、活発な議論が展開された。



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