広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度 第20回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年11月24日(金曜日7・8時限,B253)
発表者:米森慈子(哲学,M2)
発表題目:トマス・アクィナスのイデア論−アナロギアと時間性の観点から−
配付資料:A3-4枚,A4-1枚
プロトコル:松本 誠代(総合分化学,M2)

1.発表要旨

トマス・アクィナス(S.Thomas Aquinas, 1224/5-1274)はキリスト教哲学において神の内に観念としてあるイデアについて論及する.イデアは神の精神において神が自己認識するものとしてあり,認識の根源として,及び範型としての機能をもつ.神の観念としてあるとは神のうちに予め事物の原型として認識されていることを意味し,イデアの考察は創造原理の理解に不可欠である.被造物は神の善性のある分有であり,神と被造物の関係性はアナロギアをもって語ることができる.様々な被造物は一なる神に対比をもち,被造物間においても対比をもちながら神を頂点とする秩序が成り立っている.そして神と被造物は永遠と時間世界に存在することからイデアと時間世界のかかわりを「現在存在せず,過去に存在せず,未来においても存在しないもの」である「非有のイデア」を鍵に考察する.非有のイデアは神において可能的なものとして認識されたものであるので,時間的世界における創造の原理には関係しない.時間世界に存在する事物は神の意志によって存在へと限定されたイデアであることから考察すると,非有のイデアは神のうちに無限に措定された限定されないイデアといえる.神はすべての時間の経過を超えたところで非有のイデアを直観の知で認識する.アナロギアの存在としてある被造物は神によって永遠のうちに今現在の認識としての思惟対象とされ,分有というかたちでこの時間的世界において認識されているものである.


2.質疑応答

[問]トマスの意味する「非有のイデア」と「無」の関係はいかなるものか.
[答]非有のイデアは被造物としてあることはないが,神の観念において「ある」ので,「無い」ことではない.
[補足]トマスの意味する「無」は決定的な無である.

[問]個物の尊厳とイデアとの関係はいかなるものか.
[答]神は個物のイデアを有し,神の意思によって被造物としてあるのであるからその存在には価値がある.

[問]存在のアナロギアと存在の分有は結びつく考え方か.
[答]存在のアナロギアは存在の分有を前提としている.

[問]時間的に制約されている被造物が永遠である神をどのように認識するのか.
[答]被造物は神に向かうように造られているが,有限の存在であるので無限の存在である神の本質を知性認識することはできない.

[コメント]トマスのアナロギア論を蓋然的であるとする場合,「蓋然的」という語のアリストテレス的な意味あいを踏まえる必要がある.
[コメント]カエタヌスのアナロジアの理解を踏まえての検討が必要である.また神における存在と本質の意味するところと,被造物における本質と存在の意味するところの違いを理解する必要がある.本質は存在を規定するものである.



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