広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2005年度 第21回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2005年11月25日(金9・10時限,B153)
発表者:住田賢(西洋哲学,B2)
発表題目:オルテガについて
配付資料:A3原稿2枚
プロトコル:高橋祥吾(哲学,D2)


1. 発表要旨

本発表は,ホセ・オルテガ・イ・ガゼット(José Ortega y Gasset)の,1)その哲学の独自性と,2)大衆論の持つ現代性について概括したものである.

まず,1)彼の哲学の独自性は,「私は,私と私の環境である」という命題に表れていると言われる.この命題は,「わたくしの生は,自我と世界の共在」であると言い換えることができる.そして,この命題は観念論の超克から出てきた.オルテガによると,観念論は,思考する自我を存在のために他に原因を必要としない根本的なものと考えている.そして,観念論は客体を,自我の思考内容,あるいは意識内容であり,それはイメージや表象であると考える.観念論は,主観の中に対象(客観)を閉じ込めようとしているのである.

オルテガは,このような観念論は,誤りであると考える.まず主観に関して,オルテガは,思考が根本的であることを認めるが,自我を根本的に存在する現実として認めない.そして,主観の中の客体が,私の思考内容であり,イメージや表象であるなら,物体(例えば,劇場)のもつ延長性,色,空間性を持つことはないはずである.

ゆえに,物体(世界)は,観念論が主張するように,私(自我)の中に存在するのではない.世界は,私の表象ではない.ただ,私が表象するという活動はある.表象した世界は,(観念論で考えるような)表象活動そのものではなく,(私によって)表象されているもののことなのである.このようにして,オルテガは考える自我と考えられる世界という相関関係の実在を導くのである.そしてこの相関関係が「わたくしの生」という,オルテガにとって根本的な存在様態なのである.このような思想は,オルテガ自身によっても,ハイデッガーやフランス実存主義の先駆として考えられているのである.

次に,2)大衆論の持つ現代性についてオルテガは,いかなる社会も優れた少数者と多数の大衆のダイナミックな統合からなると考える.オルテガは,大衆を「他人と異ならず,同じであることに満足している人間」と定義し,他方で少数者を「他人よりも多くの,しかも高度な要求を自らに課していながら,それを知っているのに知らないふりをする人間」と定義する.彼は,この少数者と大衆の統合は,少数者の模範性と大衆の従順さによって機能すると考える.規範性と従順さのどちらが欠けても社会は健全に機能しない.

しかし,オルテガの時代,大衆が従順さを失い,少数者を締め出し,対話を放棄し,結果として少数者の規範性すら破壊してしまうような状況に陥っていたと,彼は考えた.この従順さを失った状態の大衆を彼は,大衆人と呼ぶ.この大衆人の生まれる原因として,「自由民主主義」「科学的実験」「工業化」が考えられ,この点で,オルテガの大衆論は現代に通じると思われる.また,オルテガは,知識人たちが,知識の専門化の行き過ぎによる大衆人化していると考える.彼は,専門主義の野蛮さ,総合の重要さを語っていた.この点でも現代の動きに対する根拠を与える思想となりえる可能性を持っていると思われる.



2.質疑応答

[問]オルテガの大衆論で,彼が少数者と大衆者に分けた理由は何か.

[答]オリテガは少数者と大衆者の区分は,社会に本質的なものであると考えた.このように考えたのは,社会に対する分析の結果だと思われるが,詳しくは分からない.

[問]オルテガはナチスについてどのように考えていたのか.

[答]大衆人がファシズムを生み出したと考えていたようである.しかし,そのように考えた理由はまだわからない.

[問]オルテガの大衆論は,現代社会にも適用できるとという考え方は,主流を占めているのか.

[答]主流ではない.西部邁などがそのように言っている.(発表者本人は,適用できるかの判断は保留)

[問]「われわれの生」の真理性とは?

[答]「われわれの生」の哲学についての論理に矛盾がないかどうかということ.

[問]西洋では自我の話が出るが,忘我の状態を考えている人はいないのか.

[答]オルテガは,「考えていない」ということを決断するということを言っていたりする.

[問]観念論について,デカルトの名が挙がっているが,観念論者としては,ヘーゲルなどの影響はどうなのか.また,オルテガの観念論についての理解は,妥当なものなのか.

[答]『哲学とは何か』では,デカルトの名だけが挙がっている.ただ,オルテガは,具体的な個人ではなく,観念論一般について批判しているようである.そのオルテガの批判の妥当性の検討は,これからの課題.

[問]近代の知識人への批判は,例えばプラトンの対話編等,古来からのものであるように思える.では,デカルトの考える知識人とはいつの時代のどのような人のことなのか.

[答]近代以前はもっと総合的でありえたのだと思われる.

[問]近代以前は,総合的であったと言える理由は何か?

[答]わからない

[問]ショーペンハウアー,ニーチェ,フッサ−ルなどからの影響はないのか.

[答]ニーチェからの影響はありそうだと思われる.そのように主張している研究者がいる.

[問]客体や世界とは何か.

[答]考えるもの.考える対象.

[問]「民主主義」「科学技術」「工業化」の抽象的なものだけでなく,もっと経済活動などの具体的な社会の動きなどが,大衆人社会を生み出すことになっているように思えるが,どうか.

[答]可能性はあると思うが,オルテガ自身がそう指摘している箇所は,まだ確認していない.

[問]彼の哲学が,実際の社会,政治にどのように反映されるのか.

[答]オルテガ自身は,一時政治参加したが,基本的に知識人は,政治参加するべきでないと考え,彼自身も,一時的に政治参加した後は,政治活動を行わなかった.プラトンの哲人政治などは批判している.

[問]マルキシズム,社会主義についてはどのように考えていたのか.

[答]批判的である.大衆人社会は,民主主義から生まれる.そして,社会主義は民主主義の行き着いた形だと考えていたようである.

[問]科学の総合化とはどういうことか.

[答]現段階の研究では,まだ具体的に言えない.

[意見]今後の研究では,オルテガの原典にしたがった解釈が必要となるだろうと思う.



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