広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2011年度(後期) 第21回a
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2011年12月09日(金9・10時限,B201)
発表者:阿南貴之(哲学,M2)
発表題目:代示の区分と普遍問題との関連についてーヒスパヌスとビュリダヌスの比較による考察ー
配付資料:A4, 10頁
プロトコル:阿南貴之・小川貴信

1.発表要旨

 今回は, 代示が言葉の働きであり, 言葉が何かを示すものである以上或る哲学者の代示論と存在についての見解は切り離すことのできない関係をもつはずであるという観点から, 普遍者に関する取り扱い方が区分されうるのに応じて, 代示論の取り扱いからもそれに対応して区分できるのか否かを検討した. ここでは, 普遍者について実在論的立場とされた哲学者たちと, 唯名論的立場とされた哲学者をとりあげ, 実在論的立場とされた者達に共通な或る代示論があり, また同様に唯名論的な立場とされた者達に共通な或る代示論があるならば, 代示論と普遍者の扱いは形式的に見出すことのできる一致があるものとするとした. ヒスパヌス, シャーウッドのウィリアム, ビュリダヌス, オッカム, バーレイらを対象としてこの点について考察した結果, 普遍者の扱いと代示論との間に決定的な一致は見出されないことが結論となった.


2.質疑応答

[問]p.5で,ビュリダヌスは,オッカムの3つの限定に加えて,キメラが代示をもたないというけれども,唯名論者ならば,キメラは実在しなくてもなんらかのものを代示しているのではないか?

[答]代名詞によって指示できるものが何かという問題がある.ビュリダヌスの場合,「これはキメラである」といっても,代名詞を使って「あれ」「これ」と言えないから, キメラは代示をもたない.

[問](ヒスパヌスの)『論理学綱要』第6巻末で言われていることとはどんなことか?

[答](ヒスパヌスは)「すべての人は動物である」という命題において,個々の人ではなくて,ひと一般を考えていたということである.

[問]p.2で,オッカムが述べている3つのことを説明してほしい.

[答]それは次の3点である.すなわち,(1) 代示作用は命題の中にある項辞がもつ作用であること.(2)代示とは,あるものの代理をする作用,つまり,ことばがものの代わりをすること.(3)「犬は動物である」という命題について,「この犬は動物である」「これは犬である」という場合,「これ」が「この犬」を指しているときに,もとの命題は真になる,ということ.

[問]普遍に関して,唯名論,実在論,概念論と3つあげているが,概念論はだれの立場か?

[答]概念論については,この発表で取り上げる予定はなかったが,概念論とされるのはアベラールがいるけれども(それもあやしいという研究がなされている),概念論の立場から代示を扱っている人はいないのではないかと思う.

[問]「普遍者」という表現を使っているが,「〜者」という以上,それはどういうものなのか?

[答]「もの」というつもりではないので,単に「普遍」といってよい.

[問]p.10のパリ・オックスフォード分裂について教えてほしい.

[答]パリ大学とオックスフォード大学の間に,ことばの指示するはたらきについての理解に分裂があったということ.つまり,パリでは,「人」という語は,「人一般」を指すが,命題の中で「人は白い」というと,「人一般」が個別的な白い「人」にせばめられる.と解した.それで,「人一般」を指す本性的代示を措定した.これに対して,オックスフォードでは,ことばは,(命題の中で)他のことばと一緒にあることによって,指示対象が広げられる,という点を強調した.「人がある」に対して「人があるであろう」という命題では,現在ある人だけでなく,未来にあるであろう人にまで指示が及んでいる,というように.

[問]オッカム,ビュリダヌス,ヒスパヌスの時代順は?

[答]ヒスパヌス(13世紀)→オッカム(14世紀)→ビュリダヌス(14世紀).

[問]代示について,学者の意見が違うようだが,表示については違いはないのか?

[答]表示について,代示ほどくわしく区別されている例はみたことがない.

[問] 代示と表示だけで説明するのか?

[答]他にも,appellatio(直示)などがある.

[問] p.5のキメラの例で,ビュリダヌスはキメラのような項辞は代示をもたない,というがそれはどういうことか?「あいつはキメラのようだ」という比喩の場合はどうか?

[答]比喩的(非本来的)代示ならあるだろう.

[問] 概念論とは何か?

[答]ちょっと前の教科書的説明では,概念論では,「普遍は事物の中にある」,実在論では「普遍は個物をはなれてある」,唯名論では「普遍は名称である」ということになる.

[問] なんだか,わかったようなわからんような気がするが,「犬が走る」という場合,「犬」は表示と代示をもつのか?

[答]オッカムによれば,代示している.

[問]表示作用なしで,代示があるのか?

[答]命題中では代示しているが,表示自体はある.

[問] 表示作用は命題中に(ことばが)置かれないときの作用か?

[答]オッカムの場合は,「犬」は個々の犬を表示し,ヒスパヌスの場合は,「犬」は一般的な犬を指す.

[問] 「ことばがものの代わりになる」という発想が新鮮だった.パンの代わりに「パン」ということばをもってきても食べられませんよね?

[答] パンの話をするときに,いちいち,現物のパンを持ってくる代わりに,ことば「パン」で現物のパンを指し示す,ということである.

[問] ことばがものを表す,だったらわかるけれども,ことばがもののかわりに,というのがわかりにくい.今,眼前にないものを指す,ということではないのか?

[答] それだけでなく,今あるものも指す.

[問] 今日の結論の日本がわかりづらいのだが.

[答] 「普遍についての理解の仕方」と「ことばの表示・代示の区分の仕方」に関して,前者が後者に影響しているのか,逆に,後者が前者が影響しているのか,そのどちらも決定的なことは言えない,ということである.




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