広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2008年度(後期) 第22回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2008年11月28日(金9・10時限,B253)
発表者:阿南貴之(西洋哲学,B3)
発表題目:reddere locutionem veram pro aliquoについて(Petrus Hispanus, Tractatus, VI)
配付資料:A4原稿4枚(両面)
プロトコル:加藤良太(西洋哲学,B3)

1. 発表要旨

 意味を表示する対象を持った音声であるterminusと, それが提示する事物との関係であるところの 代表作用suppositioは, そのterminusの代表する事物次第で様々な分類が成される. ところで個的代表についての記述において, terminus が事物を代表するということと, terminus がlocutioを真なるものにすることは異なるものであることが言われるのであるが, そのlocutioに暫定的に 音声命題という日本語をあてる.というのも, locutioについて「真偽に分かたれる」という一面だけならば それは一般的にpropositioという用語が用いられるのであるが, しかしlocutioという語を敢えて用いることで, 同時に 音声的という側面も含まれているように思われるからである.


2. 質疑応答

[問]代表作用と表示作用を区別する考え方はペトルス・ヒスパヌスに固有の考え方であるか.

[答]そういうわけではない.

[問]locutioを音声命題と訳すが, どういうことか.

[答]真偽に分かたれるという限りでは「命題」(すなわち,propositioの訳語)という訳も想定し得るのであるが, にもかかわらず敢えて locutioという言葉を使うのはそこに音声的側面を強調したためであると考えた.

[補足]現代のわれわれの言葉遣いに拠るならば, それは物理的な「音声」というその命題を成立させるための場の あり方のことである.それはちょうど, 記された命題の場が紙の上のインクであり, 観念のうちある命題の場が 精神であるように.

[問]端的代表におけるomnis homoと, コンフーサな代表におけるomnis homoは外見の上では同じだが, どのように異なるのか.

[答]前者は人間一般を代表する種としてのhomoであり, 後者は個物としての人間を代表するhomoである.

[問]端的な代表の例<omnis homo est animal>におけるomnisを取り除いても問題はないか.

[答]断言はできないが, その取り除いたところのhomoがspeciesといてのhomoならば問題はない.

[問]フローチャートは, それに従って「どの代表か」を判断するところの順序を示していると考えてよいか.

[答]代表の分類がチャートの左から右への順序で成されていくので, 「どの代表であるか」についての判断も, そのフローチャートに 従うものと考えられる.ただし,その分類はあくまでペトルス・ヒスパヌスの思想において, という限定句が付くのであるが.

[問]普遍的人間の下にある全人間個体, とはどういうことか.

[答]種としての人間の下にある個物としての人間すべてということ.

[問]suppositioを「代表」と訳しているが, 語源的にはsuppositioは他にどういう訳が想定し得るのか.

[答]「代示」と訳されることもあり得る.山下先生の訳を参考にして, 代表としている. ちなみに英語で云うstand forにあたる.

[問]離在的代表と限定的代表はどう違うか.

[答]最も大きな違いは, 前者はその名辞が単独で用いられるのであるが, 後者は文中で用いられるようなものであること.

[問]コンフーサな代表という際のomnis homoは個々の人間を代表しうるのか.

[答]代表しうる.それはpersonalis suppositioを持つhomoに全称命題が付いたという形式をとるからである.



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