広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2010年度(後期) 第22回b
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2010年12月10日(金9・10時限,B201)
発表者:堀尾俊介(西洋哲学,B3)
発表題目:(ホワイトヘッド)『思考の諸様態』第三部「自然と生命」第八講 「生きている自然」における「生命」について
配付資料:A4原稿3枚(両面,5頁)
プロトコル:赤井清晃(哲学)

1.発表要旨

 ホワイトヘッドは,『思考の諸様態』第三部「自然と生命」第八講「生きている自然」において「生命」という概念について言及しており,三つの概念的特徴から「生命」を定義している.三つの概念的特徴とはすなわち,「絶対的自己享受」,「創造的活動」,「生命」である.当発表は,これらの概念的特徴を整理し,理解に努めることを目標としている.
 先行する宇宙にある潜勢的なものは創造的活動によって現実的なものとなるが,それらは目的に従って選択され,与件として統一的存在,すなわち絶対的,個的自己享受へと充当されていく.この過程から生じてくるのが「生命」である.


2.質疑応答

[問]「生命」は,生きているもの一般のことか,自然も含むのか?

[答] 「生命」が何かを究めるために述べているのが,特徴であり,それにあて はまるものが「生命」である.動植物などがそれにあたる.

[問] 「生命」の特徴を3つ挙げているが,ホワイトヘッドの独創か,それと も,彼に先立って,その前提となる考えがあったのか?

[答] 第八講は,第七講「生命なき自然」に続くもので,物質的な自然観に対し て,「生命」を述べている.Modes of Thoughtは,ある哲学的体系を打 ち出すというよりは,断片的な考えを述べている.この点は,今後,調べていく つもりで ある.

[問] 「絶対的自己享受」というとき,他のどれでもなく,絶対的に「個的」な ものが問題になると思うが,「個的」ということは,どこからでてくるの か?

[答] 例えば,時間軸をとると,ある時点にあるものが存在するが,他の時点と は異なっていて,最初の時点とも異なる,ということがある.

[問] 第三者的に見ると,それは,絶対的とは言えないのではないか?それと も,他者との交換不可能性のことを言っているのか?

[答] 他の部分で,ホワイトヘッドは,「経験」について述べているが,今後, それを調べてみれば,わかるかもしれない.

[問] 「統一的存在」と言われるのは,何か?種などを考えているのか?

[答] 分子とかの与件が,集まってきている,その統一のことと思われる.

[問] 「絶対的自己享受」とは,具体的には何か?

[答] 自己自身についての例を挙げておいたのがそれである.

[問] 「創造的活動」は,個体ごとに別なのか,それとも共通しているのか?

[答] はたらきとしては共通していると思われる.

[問] 第七講「生命なき自然」と第八講「生きている自然」との関係は?

[答] 第七講は,当時一般的であった自然科学の自然観だが,それに対して, 第八講で,新たな自然観を提示するために「生命」を取り上げている.

[問] self-enjoyment というのは,自己を享受することか,自己が何かを享受す ることか?

[答] どちらか決めがたいので,考えているところ.

[問] 目的とfeelingは,どう結びつくのか?また,feelingは,排除と内包とど うかかわるのか?

[答] feelingについては,今後の課題としたいが,排除については,何かを選べ ば,それは選ばなかった何かを排除することでもある,と理解され る.

[問] feelingの場合もそうであるが,何が,享受したり,feelしたりすのか?そ の主体をホワイトヘッドは,あえて言っていないのではない か?

[答] feelingの場合は,認識の主体-客体の関係以前のことであるので,主体が 何かということを言えないのではないかと思われる.

[問] 「与件」とは,例えば,人体をつくっている粒子のことなのか?また, 「先行世界によって明らかになった現実化された与件」(l.76)と言われても,わ か りにくいのだが.さらに,「二者択一の潜勢態の無限の豊富さ」というの も,「二者択一」と「無限の」というのがわからない.

[答] 「二者択一」とは潜勢態か現実態かという意味での二者択一であり,「無限の豊富さ」とは現実にはこうなっているという以前の潜勢態にはあらゆる可能性があるという意味で無限である,ということと理解される.

[意見] 「生命」の特徴の「目的」に関して,aim の訳語は「目的」でよいだろ うか.例えば,p.4の註9 にある,The aim is at that complex of feeling which is the enjoyment of those data in the way.(p.152)の訳文が,「目的 とは,そのようなやり方で与件の享受をしている,感じ(feeling)の複合体であ る」(藤川吉美・伊藤重行訳)として いるが,The aim is at that complex の 部分は,「目的とは・・・複合体である」ではなくて,「目的とは・・・複合体 をめざすものである(複合体に向かうものである)」という意味であるとすれ ば,「目的」よりも「志向(性)」のほうが近いのではないか.



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