広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度 第23回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2006年12月15日(金9・10時限,B253)
発表者:住田賢(西洋哲学,B3)
発表題目:「オルテガの観念論の理解とその批判について」
配付資料:A3用紙3枚(片面)
プロトコル:高橋淳友(哲学)

1.発表要旨

本発表はオルテガの生の概念という自説を展開する出発点とした,観念論の批判について把握するために,オルテガの観念論に関する理解とその理解に基く批判を検討するものである.その上で観念論の批判から導かれた生の概念について考察する.

オルテガは第一義的なものを調べること,すなわち疑い得ないものを調べることを哲学の第一の問題とする.「われ思うゆえにわれあり」という命題を「思考は実在する,思考はある,ゆえに自我は実在する,われあり」というように解釈するように,オルテガの観念論の解釈において第一義的なものは思考であり,思考から導かれる自我である.また,オルテガの記述を検討すると,観念論というときに指している思想は独我論的なものであると考えられる.

 それに対して,現象の背後に想定されるそれ自体で存在する実体として諸事物と自我を把握しようとしているために,観念論は諸事物に関する問題で矛盾を持っており,その矛盾のために諸事物を疑いなく実在するものとして捉えられていないと批判する.

オルテガは思考の実在から自我と諸事物の実在を規定する.そのときに自我と諸事物はそれ自体で存在する実体として把握するものではなく,自我と諸事物はそれらの相関関係によって実在するものだとする.思考はその相関関係の一つの形態である.自我と諸事物を実体として把握しないときには,感覚の真偽は疑われずに諸事物は現象そのものである.よって,思考だけではなく自我と諸事物の相関関係を表わす事柄がすべて実在すると言える.このすべての相関関係を表わす言葉がオルテガが生と言うところのものである.


2.質疑応答

[問]配布された資料には,「正常な感覚によって得られていると思われている知覚も,それがより恒常的で,他の人々と比較的共通性が大きいというだけでしかない」とある.また,発表者は,このようなことだけでは,「正常な知覚と思われているもの」から「幻覚性」を「取り除くには足りない」とも述べている.だが,このように考えた場合,そもそも「正常な知覚」なるものは存在するのか.

[答]〈わたくしにとって正常と思われる知覚〉は存在するといえる.〈本当に正常な知覚〉の場合も,存在する可能性はある.しかしまた,存在しない可能性もある. 

[問]配布された資料には,「デカルトは思考の実在から,その主体,すなわち実体としての自我を導く」とある.また,同資料ではこれに続けて,「オルテガはこれに対して批判を行う」とあるが,オルテガにとっても「思考は実在する」のか.

[答]「思考は実在する」といえる.オルテガにとって,「思考」は〈それ自体で存在するもの〉,つまり,〈なにものにも依存しないもの〉としての「実在」である.

[問]「思考」が〈それ自体で存在するもの〉であるとされるのはなぜか. 

[答]思考は,思考する〈わたくし〉にとっては疑い得ないものだからである.これに対し〈実体〉は,その存在が疑い得るもの,つまり,〈それ自体で存在するもの〉ではない. 

[問]配布資料には,「思考の実在は疑い得ない」ことの理由として,「何故なら,思考を疑うという行為によって思考が実現されるからである」とある.「疑う」ことで,何故「思考が実現される」のか. 

[答]〈思考を疑う〉ということ自体,既に思考していることだからである. 

[問]配布された資料では,ジョン・ロックの「暗室の例」なるものが触れられている.すなわち,「ロックは心を暗室に例えて,心には経験を生み出すものとして,外的現実に開かれた感覚と反省の二つの窓があるとした」というものである.そして発表者は,ロックのような在り方を評して,「これは物質を実在として認める立場であると解釈できる」と述べている.だが,何故これを「物質を実在と認める立場」と「解釈できる」のか.
 
[答]ロックの立場では,ちょうど,〈何も書かれていなかった板〉の表面に〈何か〉が書かれた場合,そのように書く〈何か〉が板の外にあったように,心に対し書きつけてくる〈諸事物〉が心の外にあるはずだ,ということになると思われるので,上記の場合も,「物質を実在と認める立場」と解釈できる.  
 
[問]上記のロックの例に触れた個所で,「感覚」とともに「反省」が「窓」としてあげられている.では,「反省」と「思考」をどのような関係にあるのか.
 
[答]「反省」は「感覚」とともに精神に経験を生み出す作用である.「思考」は〈感覚したことを経験として構成すること〉と〈すでに持っている経験を意味解釈して新たに経験を構成すること〉の二つを指すが,「反省」は後者を行うものである.
[問]オルテガの「生の概念」とは何か.また,「生」に「自我」はどう関わるのか.

[答]オルテガの考えでは,例えば〈わたくしと机〉といったような,思考の主体(「自我」)と対象(「客体としての諸事物」)は,「相関関係」にある.したがって,思考の対象―「客体としての諸事物」―は,「自我の内部にあるのでも外部にあるのでもなく共在している」といえる.また,このような「相関関係」にあって「諸事物」は,「実体として把握する必要はない」もの,「現象してくることそのもの」である.さらに「相関関係」という点で考えるなら,「実在する」のはなにも「思考」だけではない.「自我と諸事物の相関性を表すわたくしの諸活動全てが実在する」ということになる.こうした「実在」,つまり「わたくしが諸事物を見たり,触ったり,愛し憎んだりするところ」に存在するものが,オルテガの名 付ける「生」なのである.  
 そして「自我」は,「わたくしが諸事物にどのように関わりあうかという点」で,「決定する」ものとして「生」に関わることになる.
 
 以上の質問以外には,聞き手の側から発表者に対して,「オルテガの観念論批判と同じようなものがインドにおいても見受けられる」,「オルテガの「生の概念」は大乗仏教的だ」といった発言があった.また,配布資料の表現について,何点か発表者に対し意味を確認する質問があった.



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