広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2007年度 第23回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年12月14日(金9・10時限,B253)
発表者:ブン・エイ(比較日本文化学,M1)
発表題目:二十四孝における「孝」と「母」
配布資料:A3用紙3枚(片面)[A4×6頁]
プロトコル:赤井清晃(哲学)

1.発表要旨

 中国には古来「二十四孝」という説話がある.「二十四孝」は,親孝行に関する伝記説話から,二十四話を選定し,元代の郭居敬によって編纂されたものである.儒教を重んじた中国と日本社会においては「孝」が美徳かつ当然の行いとして要求され,人々の日常行為になっている.「二十四孝」は儒教社会の枢要な実践道徳を,民間に流布した伝記説話という形で人々に語りかけて,社会における家族及び 親子関係の理想形態を例示し,民心を強化する上で大きな役割を果たした.

 一般に,「孝」といえば,「親孝行」と考えられるのは無論のことであるが,具体的に考察すれば,「二十四孝」における二十四の説話は主に母を対象として設定されていることが明らかである.二十四の説話の中で,単に母だけを対象とする説話が全体の60%以上を占めていて,父の場合の四倍近くになっている.さらに,両親を対象とし,その中で母への孝実践を語る説話を入れると,二十四孝説話での母を対象とする説話は20例にも達し,8割以上も占めているのである.「母」を対象として設定される説話を「母だけを孝行対象とする場合」,「継母を対象とする場合」,「姑を対象とする場合」に分けて,それぞれその説話を具体的に考察すれば,女性が儒教社会で果たした役割及びおかれている位置が明らかである.

 下見先生が提出された「母子一体観」(下見隆雄『母性依存の思想』)から見れば,子が生まれる前に母胎に依存し,肉体的にも精神的にも母と一体の存在である.生まれてから,別の肉体として個体となっても,儒教家族制を社会の構築基盤とする孝の精神文化圏では,子が母からの精神的自立を許容せず,母なるものとしての家からの離別および離脱の意欲も抑圧され,また,母なるものとしての家や血縁者・祖霊への服従・奉仕を着実に母に指示され,教育を施され,常に母と精神的に一体化した状況を保持している.母の死後においてもその母への服従信仰が変わることなく存在し,母との精神的な一体感を持つことが子に求められている.母は慈愛の源として安定的な存在実感をもたらし続ける心の拠り所であり,母なるものへの服従・奉仕する孝精神が子供の日常的な認識に定着しているゆえに,母が存在する家組織を離れると,子は自分の個人存在や社会的存在も実感できない.

 確かに,封建社会において,表面上は父権が重んじられているが,実は母親から子への影響が決定的である.子育ての主な責任は母親が背負っている.子は毎日母親からいろいろ教導され,母の苦労をもしみじみ感じとる.父親とあまり付き合っていない子は父に対して多少の疎外感を持っている.そういう背景のもとであれば,母親が孝行実践の主体対象となるのは当然と考えられることになる.儒教社会は男性によって主導・運営され,女性は補助的な役割を果たす存在であるという見方が一般的である.ところが,「二十四孝」説話に対する考察を通して,女性が,単なる付属的・従属的な位置においてではなく,実質的に儒教思想によって構築される家・社会,さらに家を維持する孝に積極的な役割を果たしていることが明らかである.儒教思想における孝は母を抜きにしては語れないものであり,母は子にとっては,離脱,無視できない絶対の依存対象である.

 もっとも,次の問題が残る.もし,母にならなかったら,女性はこのような儒教社会に受容・評価されるか,即ち,母子関係を抜きにしては,一個の人間としての女性の存在意義はどこにあるのか.これから注目し,解明したい問題である.

2.質疑応答

[問]「孝」の定義は?

[答]親が生きている間は,親の食物を用意することとか,親が亡くなってからは,親に対して供物を供えるとか,具体的な例を通して説明される.具体的な言い方しかされない.

[問]母に対する「孝」が中心であるとのことだが,父に対する「孝」はどうなのか?

[答]母に対する「孝」より少ないが,「扼虎救父」の楊香の場合のように,いくつか例がある.

[問]孝子は,男が中心であることは,男尊女卑の考え方を助長していないか?

[答]儒教社会そのものの問題である.

[問]「郭巨」説話の場合,母のために子を殺すことに対して,批判はないか?

[答]後代がないという点では不孝である,という批判が可能だが,これに対しては,また(別の)子を生めばよいと言われる.

[問]批判ははじめからあったのか?

[答]はじめからあったのではなく,時代が下ってからである.

[問]「郭巨」説話で,母のために,自分の子(母にとっては孫)を殺すことは,母の命を救いはしたが,母に自らのために孫を殺させたという一種の罪悪感をもたせることにはならないのか?

[答]母(祖母)のために殺されることは,孫にとっては,自分の父のために出来る最大のよいこと(孝行をする親のために尽くすという孝行)であるから,母は罪悪感を感じることはないはず(という論法である).

[問]孝の対象として,母が中心であるとしても,母自身の存在意義は子との関係において成立するので,母としてではなく,女性としての存在意義はどうなるのか?

[答]まさに,母子関係を抜きにして,一個の人間としての女性の存在意義の解明が今後の研究の課題である.

[問]二十四孝が元代に編纂されたのは,多民族国家の中で,儒教思想の規範を説話の形で示そうという意図があったからか?

[答]時代や社会状況については,今後,勉強していきたい.

[問]孝以外の徳との関係はどうか?

[答]忠と孝が両立しないという議論はある.

[問]日本では生みの親より育ての親という言い方があるが,中国ではどうか?

[答]やはり血縁はきれない.

[コメント]母子一体観では,継母の場合に,肉体的な母子一体性がどこまで主張できるのか?むしろ,子を埋めてまで母を大切にしなければ,自分が社会か ら疎外されるという意識のほうが,母子一体性よりも強く作用しているのではないか?また,孝を行なう子の立場からではなく,孝を受ける母の立場から見ると どうなるのか?以上のような観点からさらに研究をすすめてみてはどうか.

[コメント]比較に値する中日の相違が見えかくれする発表であったが,質問やコメントで指摘された点も意識して,それらの問題がどうなるかを見据えて,研究をすすめてもらいたい.



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