広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2008年度(後期) 第23回
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2008年12月5日(金9・10時限,B253)
発表者:加藤良太(西洋哲学,B3)
発表題目:デカルトの思惟作用cogito の定義からみる外界との接点の可能性
配付資料:A3原稿4枚(片面)
プロトコル:阿南貴之(西洋哲学,B3)

1. 発表要旨

 蜜蝋の分析における感覚のありかたに注目し,ベイサードの指摘した感覚の三分類を手がかりに外界との接点の可能性を考察した..まず第二のsensus は第一のsensus から導かれるようなものであることを指摘し,,そこからcogitoのなんらかの一様態である第二のsensus が身体的諸器官のはたらきである第一のsensus に由来することになるので,cogitatio はかならずしも外的事物と全く無関係なものであるというわけではないとした.また,第三のsensus のありようからもその可能性を見出し得るように思われる.つまり, 把握の契機としてのsensus と感覚内容の起源としてのintellectio との二つの原理からなる構造をもつという, 「基本的」といわれるところのあり方である.そして,そこに契機として外界由来のsensusが要請されるかぎりで,外界の事物もデカルトにとって全く不要なものとは言い切れないのである.


2. 質疑応答

[問]第一のsensus と第二のsensus の違いについて詳しくするとどうなるか.

[答] 一番大きな違いは, 第二のsensus が意識の上で内容を持っているのに対して, 第一のsensus はそうでないことである.

[問]res cogitans のres を事物と訳すのはなぜか.

[答]一般的に事物と訳すことに従った.

[問]第三のsensus がsensusから区別されないのはなぜか.

[答]判断を反省せず, また判断の根拠が習慣にあるから. 例えば三平方の定理を, 一度それを証明した後はそれその自体の証明を省いて適用するように.

[問]ここで,単に思惟する物体である.すなわち精神,魂, 知性,理性,といわれるときの精神,魂, 知性, 理性,は同一のものか.

[答]同一のものの言い換えだと思われる.

[問]第一のsensus から第二のsensus が導かれるとはどういうことか・

[答]第一のsensus が第二のsensus としての感覚内容をもたらすということ.

[問]cogitatio を思惟と訳さないのはなぜか・

[答]感覚もcogitatio の意味内容に含むと解釈するため. 現在の候補としては「意識にのぼる」がある.



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