広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2010年度(後期) 第24回a
哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2010年12月24日(金9・10時限,B201)
発表者:小川貴信(西洋哲学,B3)
発表題目:デカルトの思想における連続的創造説と神の関連について
配付資料:A4原稿2枚(両面,4頁)
プロトコル:阿南貴之(哲学,M1)

1.発表要旨

 デカルトは,彼の主著『第一哲学についての省察』の中で“Cogito ergo sum”命題と「神の存在証明」について述べている.前者は,疑いをさしはさみうるものについて全てを疑った上で,「私」が考えているそのときには存在を疑いえない,ということであり,後者は,「私」の中に浮かぶ観念は最も完全であるものに由来していて,それは神であり,それ故神は存在するというものである.また,神は存在し,その神は誠実であるということから「私」の「明晰判明な認識」は真である,とも彼は述べている.彼はそれを説明していく過程で,「神は世界をはじめに創造しただけでなく,それが持続する各瞬間において,つねに保存し続けている」というスコラ的な「連続的創造説」を採用しているのだが,その理由を,「『神の存在証明』において神が世界をはじめに創造しただけでは今存在していることは証明できないのではないか」,「過去の明晰判明な認識が真であるのは『神の保存』が関わっているのではないか」と考え,考察を進めていく.


2.質疑応答

[問] 「悪しき霊」が欺こうとする射程が感覚から数学的真理まで及ぶとあるがこれはどのようなことか?

[答] これは,デカルトの方法的懐疑が感覚に由来するもののみならず数学的な真理にまで及ぶことを示している.

[問] 悪しき霊はどうしたら消えるのか?

[答] デカルトが仮説したものであるので考察の過程で否定される.

[問] 私があるとされる私は,いま自分がそうであるような肉をもった私であるのか?

[答] 肉体から切り離された精神としての私である.

[問] 完全性がより少ないとはどういうことか?

[答] 例えば大きさにおいてより多きいものやより小さいものがあるように,完全性に関して,完全なものとより完全ではないものがある.

[問] 考えている間は私の存在を否定できないということか?

[答] そうである.

[問] 完全性ということは, 誠実であるということのような道徳的なことも含むのか?

[答] デカルトは含むと考えている.

[問] 連続的創造説はスコラ学において中心を占めていたのか?

[答] 吉田健太郎氏によれば, そうであると思われる.

[補足] デカルトが直接・間接に影響を受けたと思われるスアレスによれば,神の側からすれば,一瞬の創造であるものが,時間の中にある被造物の側からすれば,一瞬一瞬(すなわち,連続的に)創造されて続けている,と言わざるを得ないということである.「何にとって」ということと,「時間」をどう捉えるか,といういことを考慮に入れなければならない.

[問] 明晰判明な認識が真であるのは,認識能力が神から与えられたものだからであるか?

[答] 神から与えられた認識能力によって明晰判明に認識されたことは真である.

[問] 見たり聞いたりできないものの存在を証明することの根拠はどのように述べられているか?

[答] 神の観念を持っていることから.

[問] 明晰判明とはどのようなことか?

[答] 感覚されたものを精神によって吟味した結果として明晰判明な認識が生じる.



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