広島大学大学院文学研究科
比較論理学プロジェクト研究センター
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哲学・インド哲学「論文ゼミ」の記録


2006年度 第25回 哲学・インド哲学 論文ゼミ
発表日:2007年1月26日(金9・10時限,B201)
発表者:野村卓史(哲学,M1)
発表題目:個別的なものの意義とその認識について―「感覚的確信」の弁証法に対する問題提起―
配付資料:A3用紙5枚(片面)
プロトコル:住田賢(西洋哲学,B3)

1.発表要旨

 本発表ではヘーゲルの主著である『精神現象学』における「感覚的確信」の弁証法について説明した上で,それに対するフォイエルバッハとレーヴィットの批判と,その批判に対する De Nys の批判を取り上げる.そして De Nys が彼らの批判に十分に応えていないことを指摘するとともに, De Nys の反論によって明らかになるヘーゲルの問題点を挙げる.
 「感覚的確信」の弁証法によって「このもの」の「存在の二重の形態」である個別的な「今」「此処」が,同時に普遍的な「今」「此処」であることが示される.何故なら,「今」「此処」を言葉にしたとき,その感覚的確信は私念された「今」「此処」では「無い」からである.また,「私」によって「此処」が「木」であるとしても,他の「私」にとっては「此処」が「家」であるのだから,感覚的確信を保持する「私」も普遍的な「私」であることが示される.このように意識にとって確実だと思われた個別的なものは真理ではなく,普遍的なものが真理であることが示される.
 この弁証法に対してフォイエルバッハとレーヴィットが批判しているが,彼らの批判に対する De Nys の反論は不十分だと思われる.何故なら以下の二つの問題点が残るからである.第一の問題点は,意識は意識から独立の個物を捉えることは可能か、という点である.第二の問題点は,ヘーゲルが個別的なものを真なるものとして認めていないという批判に対しては否定することができず,この点で感覚的で実在的な生身の個物を真なるものと認めないことが明らかにされる点である.


2.質疑応答

〔問〕私念とは何か.

〔答〕言語化されていない感覚的確信のことである.

〔問〕本発表における真理という言葉は何を意味しているのか.

〔答〕絶対的真理ではなくて,特定の立場にとっての相対的真理を意味している.

〔問〕感覚的確信の弁証法とは何か.

〔答〕意識自身が自分自身で感覚的確信の真理が何であるかを示すこと.

〔問〕言語化された「此処」と「今」は普遍的であっても,「私」は特殊的なのではないか.

〔答〕言語としての「私」という言葉は,自我にとっての自我そのものを表わす言葉であり,あらゆる自我にとってのその自我そのものを表わすことになってしまうので,感覚的確信によって得た「私」自身を十分に表わしていることにはならない.よって言語化された「私」も普遍的である.

〔問〕感覚的確信の対象を「木」とした場合には,それはもうすでに知覚されたものではないか.この表現は比喩的なものではないか.

〔答〕そうであると思われる.



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